封切り三日目。
席数224の【SCREEN1】の入りは六割ほど。

よそ者が入り込むことで集団に化学変化が起き変化する。
頻繁に見かける王道パターンも、
本作で大きく変わるのは乱入者の側。
宝石泥棒の父子が、
障碍者施設のサマーキャンプに紛れ込んだことから起きる珍騒動。
勿論、最後には
ハートウォーミングな帰結が待っており、
観る者のココロを熱くする。
障碍者を題材にした映画を観る度に、
二つの過去作を思い出す。
一つは
〔マルキ・ド・サドの演出のもとに
シャラントン精神病院患者たちによって演じられた
ジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺(1967年)〕。
長いタイトルが有名で、
元々は舞台劇を『ピーター・ブルック』が監督し映画化。
患者は本物ではなく、俳優が演じるのがミソ。
が、終盤「ラ・マルセイエーズ」を唱和する場面では、
(演出上の)観客として招待された貴族たちも狂乱。
どちらが患者なのか、
鉄格子の彼我の区別がつかなくなるのが笑える。
もう一つは〔チョコレートドーナツ(2012年)〕。
当初は単館も、『LiLiCo』の紹介により火が付き、
拡大上映に繋がったとの経緯。
ゲイカップル×ダウン症児とのマイノリティな掛け合わせでも、
内容次第で十分に勝負できることを知らしめた異色作。
また実際のダウン症の青年を起用し演技させたことも
嚆矢に近かったとの記憶。
それから十余年。当時は珍しかった
障碍者がそのままを演じるのも
今ではごく普通に。
とは言え今回は十一人全てで、
且つアマチュアを起用しての撮影は、
制作陣の気の入れようも判ろうというもの。
カットは短めに割られ、長いセリフも無し。
それでも、なかの一人が語る
親から受けたネグレクトの次第は、
真に迫り先作をも想起させ、
強い印象を残す。
健常者が障碍者のフリをし、
コミュニティに紛れ込もうとするが、
あっさりと見透かされる件は笑える。
逆に介助者には判っておらず、
その捻じれが生み出すエピソードの数々で
可笑しさをエスカレーションさせる。
そうした彼らや彼女らと過ごすうちに、
親子のココロは解きほぐされ浄化される。
もっとも、元から心根の優しい二人なことは、
冒頭のシーンでも描かれるし、なによりも
共に過ごした障碍者は感覚的につかんでいたことなのだ。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
「障碍者プロレス」でもあるように、
障碍そのものをギャグに使うことが
ここでも当然のように行われており、
嫌味にも見えないし悲愴さも感じない。
寧ろ自分に特別に与えられたこと、と
胸を張って前面に出している。
周囲で支援する人たちにも、
その意識は共通しており、
屈託の無ささえ感じてしまうのだ。