RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

本心@TOHOシネマズ川崎 2024年11月10日(日)

封切り三日目。

席数319の【SCREEN6】の入りは三割ほど。

 

 

工場で働く『石川朔也(池松壮亮)』は
豪雨の帰り道、増水した川の畔に立つ母『秋子(田中裕子)』の姿を見つける。

次の瞬間に彼女の姿は消えており、
『朔也』は母を助けようと濁流に身を躍らせる。

彼が正気付いたのは、
それから一年近く経った病院のベッドの上。

母は亡くなっており、しかし
彼女が生前に電話で告げた
「帰ったら大切な話をしたい」との言葉が脳裏から離れない。


故人の膨大なライフログをAIに学習させ、
仮想空間上に再現させる「VF(ヴァーチャル・フィギュア)」の技術は実用化されている。

母が伝えたかったことを知るために、
『朔也』はその技術を頼るが、
更なるデータをインプットし、より本物に近づけるため、
母の親友だったという『三好(三吉彩花)』にコンタクトする。

そこから、『朔也』と『三好』と『VF秋子』の
奇妙な三人の生活が始まる。


物語りの舞台はそう遠くない未来の日本。

安楽死」や「尊厳死」よりも一歩進んだ「自由死」が合法化され、
まだ元気な人間でも「自死」を選択でき、
その死に対しては国から金銭的な補填すらある。


AIやロボットによる人間の仕事の代替は更に進んでいる。

それにより多くの失業者が巷に溢れ、
職を求めている。

その一部は、良い収入との言葉に惑わされ、
内容を吟味しないまま非合法な仕事に手を染める。


「リアル・アバター」との仕事が始まっている。

ゴーグルを装着し360°カメラを持ち、
依頼主の代わりに目的を遂行し、
一部始終はHMDを通して配信されるが
報酬は微々たるもの。

代行業務で感謝されることがある一方、
中には些細な理由で低い評価を付ける者、或いは、
雇用・被雇用の関係を嵩に懸け、理不尽な要求をする者も。

社会は富裕層と貧困層に、完全に分断されている。


2019年~20年に新聞連載された『平野啓一郎』が原作。

今のこの国での問題が
既にして多く盛り込まれていることに驚く。

もっとも、「ぬいぐるみの旅行代理店」などは2010年代前半からあり、
「リアル・アバター」は、
これと「ウーバーイーツ」の掛け合わせ且つ発展形かもしれぬが。


『朔也』は過去に犯した罪を引きずる。

『三好』も、昔の仕事がトラウマとなり、
他人との接触を極端に恐れる。

『秋子』は息子には伝えていない秘密を抱えている。

いくら科学が進歩し、連絡を密に取れるようになっても、
互いの心を理解することは難しい現実。

しかし面と向き合うことで見えて来るものもある。

それが如実に示されるのは
掲げた手の先には太陽が、
そして光明が見える印象的な最後のシークエンス。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


主役の三人の演技は皆々秀逸。

『田中裕子』は掴み処のないとぼけた感じが、
三吉彩花』は引きずっている翳が払拭されていく変容が。

が、とりわけ『池松壮亮』が出色で、
口から出た言葉が真実ではないことを、
眼差しで分からせてしまう、
ラストシーンに向けての
裏腹な一コマでの表現の素晴らしさ。

 

Brillia Art Works Exhibition@BAG-Brillia Art Gallery- 2024年11月9日(土)

何の気なしに前を通りかかり、おや?と首を傾げる。

確か展覧会の狭間で、なんの開催も無い認識なのだが、
ギャラリーの前には告知があり、中には来場者の姿も。

 

近寄って見れば「Brillia目黒大橋」と書かれている。
はて?こんなギャラリーあったかしら。

入館し確認すれば、
同所は「Brillia」が建てたマンションとのことで、
そう言えばそもそも「デベロッパー」なのを失念していた(笑)。


マンションの共用部を彩るワークスを制作した
アーティストの作品展示会とのこと。

会期は~11月11日(月)までの短期間。


自分が入ったのは【BAG+1】のみも、
【BAG+2】でも展示は開催されている。

【+1】では三名、【+2】では一名の作品が夫々に。

中でも『加新紺』による金属彫刻は印象的。

勿論、これがそのまま、
マンションの中に置かれているのではないだろうが・・・・。

退任記念 斉藤典彦展@東京藝術大学美術館 陳列館/正木記念館 2024年11月3日(日)

”水の國/白き森”と付されている。


日本画}でありながら表現は{抽象}。

例えば〔蒼山〕や〔なつのやま〕と題された作品は
タイトルは似通っていつつ、
共に山の風景には見えず。

おそらくは作者がその場で感じた心象を
画面に落としているよう。

凡人な我々は、たぶん
同じようなシチュエーションで目を閉じても
山の形や翠の木々しか脳内には浮かんで来ないだろう。


〔WL-00*〕や
〔in her garden-*〕といったタイトルの作品が
複数あるのも特徴的。

中に共通するイメージを探そうとするのだが、
なかなかに・・・・。


〔隻日抄〕と題された『斉藤佳代』との共作の「折本」が面白い。

表現の異なる画が交互に現れる見せ方も含めて。


会期は~11月10日(日)まで。

 

十一人の賊軍@TOHOシネマズ上野 2024年11月3日(日)

封切り三日目。

席数235の【SCREEN7】の入りは四割ほど。

 

 

「武士は相身互い」と言う。
「同じ立場の者は、
互いに思いやりをもって助け合うべき」との意だが、
この「同じ立場」がいやらしい方便。

上の者にはおもねるし、
下の者には居丈高になる。

それを如実に現わしたのが本作。

平民と一部の武士を除くほとんどの登場人物が
いけ好かないのだ。


白石和彌』の監督としては十五作目。

そのうち時代劇は
〔碁盤斬り(2024年)〕に次いで二本目。

ハートウォーミングさが前面に出た前作に比べ、
今回は殺伐さが目立つ。

もっとも過去の暴力的な描写は健在で、
それゆえの「PG12」なのだろう。

戦の場面が多いので、
身体はばすばすと斬られ、肉は飛び散り、
血しぶきは際限なくほとばしる。


幕末の新発田藩では「奥羽越列藩同盟」に参加しながらも
新政府軍には恭順の意を示し、
両者の間を渡り歩きながら、
藩を主君を領民を守ろうとする。

そのために、進軍する新政府軍を数日足止めする要に迫られ、
死刑囚として牢内に居た十名と、お目付け役の武士数名を藩境の砦に派遣する。
ことが成れば罪を減じ、無罪放免にすると約束して。

勿論、これが空手形なのは最初から判っていること。
重臣たちは藩と主君のためであれば、
下位の者の命など塵芥に過ぎない。


その十名の罪状は様々。年代も性別も多様で、
皆一様にキャラが立っている。

もっとも各々の特性が、うち二人を除いては
実際の戦闘時にほぼ役立っていないのは至極残念。

造形の弱さとも見える。


ほとんどのお目付け役が人命を軽んじるなか、
唯一『鷲尾兵士郎(仲野太賀)』は違っていた。

相手が誰であれ、約束は約束。
当初の指令を履行するために奮闘し、
「義」のために最後まで猛進する。


その対極に在るのが城代家老の『溝口内匠(阿部サダヲ)』。
先に挙げた目的のため策を弄し、
(自分で)軽重を付けた領民や下級武士の命を平然と扱う。

もっとも、自身も手痛いしっぺ返しを喰らう。
それと併せ、維新後の体制は彼が望んだ通りなのだろうか。

当時幼かった主君は、華族にはなるものの、
最後は家運が傾くのだが。


大団円近しと思わせておきながら、
更に一波乱二波乱を見せるのは脚本の妙。

二時間半の尺を、緩急を付け乍ら
一気呵成に描き切る。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


門閥制度は親の敵でござる」と言ったのは『福澤諭吉』。
その制度を守るために破壊者たる新政府に組することの皮肉。

冒頭の場面では、のちに死刑囚となり
戦いに駆り出される『政(山田孝之)』が、
妻の元へと悪路を突っ走る。
しかし、彼は旧弊に囚われている。

最後のシーンでは生き残った者たちが
軽やかに駆け出す。新しい時代に向かって。

共にアップになる、その足でも、
まるっきり異なる印象を鑑賞者に与える見せ方は見事だ。

 

アイミタガイ@チネチッタ川崎 2024年11月2日(土)

封切り二日目。

席数284の【CINE5】の入りは二割ほど。

 

 

「情けは人の為ならず」の本来の意は、
「人に親切にすれば、それは巡り巡って自分に戻って来る」だが、
「人に親切にすると、その人の為にならないので、止めた方が良い」
の意と思っている人の存在を知ったのは、
自分が高校生の頃。かれこれ四十年以上も前になる。

直近の調査では、
後者が正しいと考えている人の割合が上回っているようで、
これも時代かなぁ、と
思ってみたり。


本作のタイトルは漢字では「相身互い」と書き、
「同じ境遇や身分の者は、
互いに同情し助け合うべき」が、その意のよう。

が、鑑賞後に感じたのは
「情けは人の為ならず」に近しい印象。


ウェディングプランナーの『梓(黒木華)』は
長い付き合いの『澄人(中村蒼)』から婚意を告げられているが
離婚した自分の両親の姿が記憶にあり、
なかなか一歩を踏み出せないでいる。

そんな折り、親友の『叶海(藤間爽子)』が突然の事故で亡くなる。
心の整理が付けられない『梓』は、
亡き友のLINEにメッセージを送り続ける。

『叶海』の両親も、娘を亡くした深い喪失感を抱えている。
そんな二人の元へは、思いもかけぬ場所からメッセージカードが届く。


脚本の練り込みが素晴らしい。

元々の原作は連作短編と聞く。
それも、三重県桑名市と、ごく狭い場所を舞台とする。

最初は、複数の人物の物語りが、
過去のエピソードを含め散文のように描かれる。

それが終章に向かい、どのように収斂するのか、
見当も付かない。
シャッフルされたジグソーパズルのピースのよう。

が、次第に納まる所に嵌り出すと、
全体像が薄っすら見え出す。

しかし、それでもまだ全容は見通せない。


叔母の紹介で、自分がプロデュースする金婚式のピアノ演奏を
『こみち(草笛光子)』に依頼しに行ったことが大きな曲折点。

その家はたまさか『叶海』との
中学時代の思い出の場所だった。

そこからストーリーは、大きな動きを見せる。


最後は、細かく張り巡らされた大小の伏線が全て回収され、
綺麗な円環が完成する。

これでもう終わりだろうと思ったところに
また新たなエピソードも披瀝され、
仕掛けの広がりに思わず仰け反る余禄まで付けて。

登場人物は皆々が良い人たち。
他人のことを慮り、それが回りまわって自分に返って来る。
まさに胸がすく思い。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


強烈な印象を残す描写は無く、
淡々とした語り口でも
十分に人を感動させるチカラがあるとの
見本のような一本。

撮影と編集にも抜群の力量を感じる。
わけても『叶海』の両親が或る施設を訪ねるシーンは
科白は無く、音楽と役者の演技だけで構成されているのに
胸アツになり感涙すること必至の場面。

 

副島しのぶ個展@CREATIVE HUB UENO “es” 2024年10月13日(日)

会期は9月17日(火)~10月14日(月)なので
既に終了した展覧会。

タイトルは”私の横たわる内臓:循環するhub”。


館内では、大きめのモニターに
〔私の横たわる内臓 My Organs Lying on the Ground〕の
アニメーション映像が流される。

他にも、アニメ制作に使われた造形物(人形やセット)が
其処彼処に置かれている。


上映時間はさほどでもないので、
珍しく最初から最後までを鑑賞する。

元々の11分尺から、再構成したとのことだが、
モチーフについては理解できる。


人間の胎内に入り込んでいくイメージも、
たしかに口と肛門で外界と繋がっていることを勘案すれば
頷けるものがある。

「人間は一本の管だ」との言葉を聞いたことがあるが、
言い得て妙だ。

 

第67回CWAJ現代版画展@ヒルサイドフォーラム 2024年10月20日(日)

会期は10月16日(水)~20日(日)なので既に終了した展覧会。



訪問当日は最終日。
来客もそうだが関係者も多く、
会場内はかなりの賑わい。

出展作は二百強もあり、
出展者も同様に二百ほど。

次から次へと多様な表現が繰り出され、
観る目を楽しませてくれる。


基本プライスが表示されている即売会も、
殆どの値付けは十万円未満と、比較的
手を出し易いゾーン。

エディションも十程度と良心的。

ただ販売済みの赤丸シールが付されているのは過少。
やはり「おお!これは!!」と感じる作品に多い印象。