封切り五日目。
席数103の【SCREEN6】は満員の盛況。

本作はロケ地となった上野に在る映画館で観る。
場所柄もあってか館内は満員の盛況。
ちょいと足を延ばせば「東京都美術館」、
「藝大」や関連施設の「es」も在り、
個人的には馴染みの土地。
「竹の台広場(噴水広場)」では
しょっちゅうイベントが開かれ、多くの人で賑わってはいるが、
直ぐ近くの「旧東京音楽學校奏樂堂」の傍では
団体による炊き出しや物品の配布も行われ、
これまた多くの人たち(本作で見られるような)が集っている。
異なる猥雑さが混交し、なんともカオスなエリア。
そうした場所でどんな物語りが紡がれるのか。
随分と昔に耳にしたようなタイトルではある(笑)。
とは言え、作品の方向性はまるっきり異なる。
ホームレスの『ゴージョー(原田文明)』が
ねぐらにしていたテントの中で亡くなっているのが見つかり、
遺品の整理に向かったソーシャルワーカーの『サツキ(門脇麦)』は
そこで日記を見つける。
彼女は残された日記の内容を手掛かりに
同じホームレスの『トシ(竹中直人)』と共に
『ゴージョー』の身元を追う。
関わりのあった幾人かに話を聞いても、
彼の人となりも過去も杳として判然としない。
『サツキ』の探索は業務の範疇を越えて行われるが、
それには彼女なりの理由がある。
『トシ』の記憶を頼りに、
嘗て住んでいたと思われる地方に向かうが
それも空振りに終わる。
万策尽きたと思われたタイミングで
予期せぬ情報が共通の知己からもたらされる。
『サツキ』然り『トシ』もまた然り、
主要な登場人物はなにがしかの喪失感を抱えており、
それを埋めることが行動原理となっている。
ましてやホームレスの人たちは、
空白を満たすことへの執着の度合いは強いだろう。
ある者は食べ物、
またある人は捨てたり断ち切ったハズの人との関係性であったり。
最後の挿話で、
予想だにしない事実が提示され、
『サツキ』は(観客も)言葉を失う。
もっとも『トシ』にとっては
自身の心の隙間を埋める
一つの手段だったろう。
事実を知らされても、
『サツキ』の気持ちは何ら変わらない。
これからも日々は、ただ流れるように過ぎていく。
評価は、☆五点満点で☆☆☆★。
やはり失踪がテーマの〔砂の女(1964年)〕とは
異なる方向性。
とは言え、なにかしらに執着することは
通底するカギと思われ。
たとえそれが虚構であっても、
人が生きて行くよすがとなる。