RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

十一面観音立像@東京長浜観音堂 2024年6月15日(土)

本年度の予定が更新されてることに気づいたのは
5月末のコト。

が仔細に見ると、
本年をもってここでの展示は終了になるとの告知も。

かなりショックなのだが、
せめて皆勤を目指そうと誓いながら
第一期からして訪問が最終日間近になるとの体たらく。

ちなみに日程は以下の通り。
第1回会期 5月18日(土)~6月16日(日)​ 
第2回会期 8月1日(木)~9月1日(日) 
第3回会期 11月1日(金)~12月1日(日)
忘れぬよう、メモっておかねば。

 


で、第1期におわすのは
〔十一面観音立像〕
薬師如来立像〕
阿弥陀如来立像〕
の三体。

観音様は中央に
薬師様と阿弥陀様は
その2/3~1/2ほどの大きさで両脇に。

室町時代の作とされているようだが、
観音様は彩色がかなり鮮やかに残っている。

面立ちや衣の彫りに共通性も感じられ
まるで一属で心に平安をもたらしてくれるよう。


https://kannonnagahama.wixsite.com/website-1

 

陳敏慧作品展@@Sony Imaging Gallery - Ginza 2024年6月15日(土)

久々に観る、お馬鹿な作品に(勿論、誉めてます)、
思わず心がにんまりしてしまう。

展のタイトルは〔唯一無二-Finding-〕。

 

ある意味、カラダを張った作品群と表現すれば良いか、
二点で一つのセットを構成している。

例えば向かって右には痛んだ果物の写真、
左側には見間違うばかりの自身の左肩の痣を写した写真。

積み重なった丸いお菓子には
自分の二段腹(笑)。

積み重ねた油揚げには、
赤いルージュを引いた唇。

更には、耳と餃子の近似性のギャグを付け加えるのを忘れない。
歩を進める毎に、次はどんな仕掛けを見せてくれるのだろう、と
わくわくが止まらない。


自分の訪問当日には作家さんも滞廊されており、
丁度、お国の方と会話中。

本展以外のバリエーション展開は
どうにも気になるところ。


会期は~6月20日(木)まで。

蛇の道@109シネマズ川崎 2024年6月16日(日)

封切り三日目。

席数127の【シアター2】の入りは五割ほど。

 

 

1998年制作の自身の監督・脚本作品のセルフリメイク。
その時の舞台は日本、
主役は『哀川翔』『香川照之』の二人だったよう。


今時の人は蛇が通った跡を、
見たことなどそうはあるまい。

自分は昔の人間で、
しかも田舎育ちだからそこそこ目にしている。

太い一本の線が縦に伸び、
鱗の跡が波紋のように横線を描く。
一目で蛇が通ったと判る痕跡。


本作の舞台はフランス。

幼い娘が惨殺遺体で発見され、
父親の『アルベール(ダミアン・ボナール)』は犯人への報復を誓う。

自身の治療のために訪れていた病院で
精神科医の『小夜子(柴咲コウ)』と知り合い、
彼女の助けを借りながら一人また一人と
容疑者を割り出す。

とは言え、やはり素人コンビの稚拙さ。
相手が体力の持ち主であれば
時として圧倒され、窮地に追い込まれる。

が、そうしたピンチも乗り越え、
二人は真の黒幕に近付きつつあるようにも見えるが
その後には死体がいくつも重なる。


しかし、傍から見ていて、どうにも腑に落ちない違和感が。

報復の主体である『アルベール』は全体的におよび腰で、
アシストの立場である『小夜子』の方が積極的にコトを運ぶ。

それは容疑者に対する尋問の場でも明らかで、
亡くなった娘の在りし日の姿をビデオで見せ、
死体検案書を淡々と読み上げるばかり。

こんなあっさりした手法で、
(実際に殺人を犯していたとしても)ホントに自白するか?と
思ってしまう程度の生ぬるさ。

一方の『小夜子』はパートナーの『アルベール』を時として出し抜き、
したたかなネゴシエーターぶりを見せる。

弱気ぶりを叱咤する場面すら見られ、
彼女のモチベーションの高さは、いったいなぜなのか。

とりわけ『小夜子』が、
先を見通したような振る舞いをすることの不可解さ。

この違和感の正体は、
終幕のエピソードで明らかに。
黒沢清』は、なかなかに手練れの脚本を紡いだもの。

悪の彼岸と此岸の曖昧さを再認識することになる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


もっとも、全ての真相が明らかになっても、
鑑賞者の側は通常の復讐譚で得られるカタルシス
微塵も感じない。

それどころか、「蛇の眼」に見つめられたような
ざらっとした不快感だけが残る始末。

柴咲コウ』の演技の賜物は、
既に狂気に囚われた者の表情を
余すところなく体現する。

TOKAS-Emerging 2024@トーキョーアーツアンドスペース本郷 2024年6月15日(土)

第2期の会期は、明16日(日)が最終日。

それもあってか、ここ暫らくでは記憶がないほどの
多くの来場者を目にする。たぶん十人以上。


出展者は
『平松可南子、菊谷達史、戸田沙也加』の三名も
今日の目当ては『戸田沙也加』の〔消えゆくものたちの言葉なき声〕。

会場の入り口には

このような注意書き。


舞台は既にして亡くなった作家のアトリエ。

故人は生涯にわたりテラコッタの裸婦像を造り続けた(との設定?)。

作家が亡くなったあとも、多くの作品がそのまま残されている。

そこを訪れた彼女は身に纏った白い布を切り取り、
件の裸婦像を丁寧に包み、太く白い紐で結わえて行く。

全ての作品を包み終わると、
そこには一糸纏わぬ生身の女性の姿が・・・・。

これが先に注意書きにあった、映像の内容。

映像のタイトルは〔語られざる者の残響〕。


映されたスクリーンを部屋の中央に、
奥にはそうして包まれた裸婦像が置かれ
入り口左手には、包まれる前の裸婦像の写真が
紗のカーテンの後ろに並べられる。

その中には、亡くなった作家と思しき姿も。


以前は無かったこうした注意書きを
わりと頻繁に目にするようになったのは最近のコトとの記憶。

一種の「PC」的な配慮と認識も、
それが本作品と、妙に合致していたり同時にズレも感じ
複雑な気持ちに。

 

チャレンジャーズ@TOHOシネマズ川崎 2024年6月9日(日)

封切り三日目。

席数127の【シアター2】の入りは五割ほど。

 

 

初めての出会いは三人が高校生の頃。

男子二人も「アイス&ファイヤー」の二つ名で
Jr.男子ペアの世界ではそれなりに名が通っているが
『タシ・ダンカン(ゼンデイヤ)』は別格。

プロ転向はしていないのに
大手スポーツメーカーのスポンサードを受け
財団まで設立、両親は役員につき、
既に巨額の富を得、更に今後も約束されている有望株。

※ここでプロとアマの違いに疑問を持つわけだが、
要は大会で賞金を得る得ないの差、との理解で宜しいか。


とあるJr.の大会で出会った三人。
男二人は初めて生で見た『タシ』にぞっこん。

彼女はそんな二人を手玉に取る。

この時点ではや、三人の将来が、
ポジションの優劣が透けて見える。


しかし、将来を嘱望された『タシ』が
試合中の事故で再起不能となったことから事態は急転。

彼女は二人を一流の(シングル)テニスプレイヤーに育て上げることに
新たな生き甲斐を見い出すのだが・・・・。


三角関係を表すのに、テニスというスポーツは
あまりにうってつけ。

広いコートの両端に位置した男二人、
その中央部の観客席に座る女一人。

ラリーの度にボールは左右に動き、
視線や顔もそれに合わさり右に左に。

さも、どちらの男を選ぼうかと考えているよう。
ちょっとした間合いや、見つめる時間の長ささえ
なにか裏があるのでは、と
思えてしまう。

主演の『ゼンデイヤ』は制作者としても名を連ね、
彼女の希望はそれなりに
脚本に反映されているとの判断は妥当だろう。


物語はイマイマ行われている
地方のツアー大会の(男二人が相対する)決勝戦をメインに、
三人の過去の因縁が適宜挿入。

時系列がバラバラのため、
頭の中を整理するのはなにかと労力も、
エピソードが積み重なることで
三人のポジションも理解される。


『タシ』と結婚し、一女を授かった『アート(マイク・フェイスト )』は
グランドスラム」達成直前の位置につけるも
ここしばらくは肩の手術の影響もあり不調をかこつ。

一方の『パトリック(ジョシュ・オコナー)』はシード権の獲得さえままならぬランキング。

その二人に『タシ』を巡っての新たな因縁が生まれ、
物語はクライマックスへと。

ポップでビートの効いた音楽と
スピード感と視点をを自在に操るカメラワークに乗せられて。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


それまでは上手く行っていた男二人が、
彼女の出現とともにさや当てを演じ、
テニスに対するスタンスも変化するように。

が、決勝のゲームが進むにつれ、
昔の幼い感情が再び湧き上がる。

これこそが、『タシ』が求めていたカタルシスなのかもしれない。

 

あんのこと@TOHOシネマズ川崎 2024年6月9日(日)

封切り三日目。

席数232の【SCREEN7】の入りはほぼほぼ満席。

直近で話題の『河合優実』の主演とはいえ
こんなに暗く救いの無い話に、
これだけの客が集まるのは
正直、驚き。

 

 

『香川杏(河合優実)』は生活力の無い母親から暴力をふるわれて育ち
十二歳の頃から売春を強要され、
小学校にも通えず
二十一歳の今では麻薬も常用するように。

「私、頭が悪いから」と、ことあるごとに口にするも、正しくはない。
単に学ぶ機会が無かっただけで、
何かの際にはどうすれば良いのか、
誰に頼れば良いのかを知らないだけ。

無口なのも、どう表現すれば良いのかを学んでいないだけ。


そんな彼女が、型破りな刑事『多々羅(佐藤二朗)』に出会ったことで
更生への道を歩み始める。

『多々羅』は麻薬中毒者の面倒を親身に見、
自助グループさえも個人的に組織する。

しかしそんな彼も二面性を持つのが世の常であり、
後々にスレ違いを生む一要素に。


また『多々羅』主宰の「サルベージ赤羽」に出入りする
雑誌記者の『桐野(稲垣吾郎)』も同様。

『杏』に親身になる一方で、
『多々羅』の近くに居るのは何らかの理由があることが、
ちらほらと示唆される。

これも後に、正義と情の狭間で懊悩することに。


物語が始まるのは、コロナが流行する前の東京。

順調に世間並みの暮らしに近付いていた主人公は
コロナが猛威をふるうとともに、
一つ一つと退路を断たれ、
次第に立ち行かぬ状況に追い込まれる。

2020年のあの頃。我々が伝染病の影に怯える裏では、
こうした惨事があちこちで起きていたに違いない。


自身の子供を、生活のための道具くらいにしか考えていない親は、
残念ながら多いのだろう。

本作の『杏』の母親は、
日頃は罵詈雑言と暴力を浴びせるのに
時として「ママ」とあり得ない呼称で娘を呼び
強く懇願する。

本来であれば暖かい単語が、
ぞわっと背筋に突き刺さるように聴く者の耳に入って来る。


離れたいのに切れない血縁に縛られるのは
どれほどの絶望感か。

そしてまた肝心な時に、信頼し頼ることのできる人間が
身近に居ない心細さはいかばかりか。

冒頭、重い足取りで明け方の街を歩く主人公の背中を追うシーンは
終盤で再び繰り返され、
そこに我々は深い悲しみを見る。

自身の力だけでは、どうにも抗えない
世間や社会に対しての。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


新聞には毎日を目を通していても、
本作の元になった事件は
たぶん読み飛ばしているのに違いない、
既視感のある、ありがちな記事として。

しかしその背景を詳しく知れば、
心が引き裂かれるほどの背景が詰まり
困窮する多くが遍在することを理解する。

その義憤を映像に繋げた『入江悠』も見事だし、
カラダを張って監督の期待に応えた『河合優実』にも
賛辞を贈らずにはいられない。

 

 

かくしごと@TOHOシネマズ日比谷 2024年6月8日(土)

封切り二日目。

席数98の【SCREEN11】の入りは九割ほどと盛況。

 

 

原作は『北國浩二』による小説〔嘘〕。
それを映画化にあたりタイトルを〔かくしごと〕に変更し、
これが本作の方向性を如実に示している。

主要な登場人物は皆
ある種の「かくしごと」を抱え、
それがストーリーが進むにつれ次第に明らかに。

もっとも、最大の「かくしごと」は
物語の初頭に察知できてしまうもの。

ただそれが分かっていても
(自分もそうだったのだが)、
最後のシーンの感動が損なわれることはない。
いや、より高まると言っても過言ではない。


伊那に独りで住む父親『孝蔵(奥田瑛二)』の認知症が進み、
童話作家の『千紗子(杏)』は一時的に東京から里帰り。

養護施設への入居が決まるまでのつもりだったのだが
地元の友人が運転する車に同乗していた時に
道路に倒れている少年を見つける。

急ぎ実家に運び込んだものの、
彼には事故による怪我は見当たらないのに、
虐待を疑う多くの傷跡が。

警察に届けることはせず、
過去の記憶を失くした少年を自分で育てる決意をするのはかなり無理筋も、
判断の背景には自身の悲しい過去が。

それが夫はおろか実の父親とも疎遠になる契機だったのは
おいおいと語られるところ。


少年が生活に加わることで、
進行していた父親の認知症も小康状態を保ったように見える。

三人での暮らしは、後ろめたさはあるものの、
問題なく過ぎていくようにも思えた。

しかしここで事件は起こる
(ただ、その事件も、きっかけとなる伏線も、
容易に予想が付いてしまうのだが)。


世の中には血の繋がりよりも重いモノがあるのは
有史以来繰り返されて来たテーゼ。

その背景となる愛情の種類は人により様々も、
深く心で結ばれた時に思いもよらぬ力を発揮することに
心を動かされ涙する。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


優男で売った『奥田瑛二』が
こうした老人を演じるような歳になったことにも感慨を抱く。

進んだ症状の演技も迫真で、
自分の世代などは身につまされてしまうほど。

主治医で、父親とは旧友の『亀田(酒向芳)』が
認知症について話すくだりは、
直近で自分も体験したこともあり
妙に納得をしてしまう。

しかし、その後の『孝蔵』の独白や行動が
今まで口に出せず態度に表わせなかった娘に対する愛情の発露で、
やはり心を動かされてしまうのだ。