RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

寺山修司と日本のアヴァンギャルドポスター展@Bunkamura Gallery 8/ 2026年10月14日(水)

既に終了した展覧会。

会期は10月9日(金)~18日(日)の十日間。
サブタイトルには「寺山修司生誕90年記念」と書かれている。

 

 

もっとも本展、
十数年前にもほぼ同内容が開催されており、

既視感はあるのだが。


展示は彼が主催したりかかわった
演劇や映画のポスターが主。

過去に何度も観たことがあるものが多い一方で
(たぶん)今回初めて観るものも。

なので、そこそこ新鮮な気持ちで向き合える。

基本、即売会を兼ねており、プライスも表示。
赤〇シールが付された作品もちらほら。


出入り口付近には
彼の等身大パネルも置かれ
撮影スポットに。

向き合いながら、存命なら
当年で九十歳なのだなぁ、と
今更ながらに思い至る。

mentor@TOHOシネマズ川崎 2026年10月17日(土)

封切り二日目。

席数319の【SCREEN6】の入りは五割ほど。

 

 

一種の予告編詐欺と言っても良いか。
それほどまでに告知は、
鑑賞者をミスリードさせる構成になっている。

もちろん、全てのシーンは
本編から印象的なピースをピックアップしている。
できあがったそれは
ナニゴトかが起きそうな不穏な空気を孕み、
事前期待を高まらせる。

加えて監督は
〔ヒメアノ〜ル(2016年)〕
〔愛しのアイリーン(2018年)〕
の『吉田恵輔』。

オリジナル脚本も兼ね、
当てにするなという方がムリだろう。


幼い頃の花火遊びが原因で、
アパートを全焼させ、一人を死に追いやった
『龍之介(磯村勇斗)』と『拓海(末澤誠也)』。

『龍之介』は全てを振り切ったように、
十五年後の今ではアーチェリーでオリンピックを目指す。

『拓海』は罪の意識にさいなまれ引きこもりになり、
社会復帰は果たしつつ、鬱々とした日々を過ごしている。


『拓海』がある日、被害者の『埜本(綾野剛)』と遭遇したことから
物語りは動きだす。

『埜本』は火事の際に妻を亡くし、自身も顔に火傷を負い、
今では独りで暮らしている。

なのに、『拓海』に向き合っても人懐こい笑顔を浮かべ、
おどおどする彼を逆に励ます。

が、鑑賞者は、『埜本』の優しさの裏には別の顔が潜んでいるのではないかと、
疑念を持つ。
この後に起きる(ハズの)惨劇の序章ではないか?との予感。


改めて顔を合わせた三人は、『拓海』の発案で、
往時の火事で焼け出された人を探し出し、
謝罪することを始める。

そこで予期せぬ事実が明らかになる。

何かが起きそうなシチュエーションに
剣呑なBGMは流れ、期待はいやがうえにも盛り上がる。

細工は流々仕上げを御覧じろ、だが
本編は思わぬ方向へ転がって行く。


罪の意識のあり方や贖罪、
人ごとに異なる向き合いがテーマの一つとなっているよう。

加害者の側も多くの犠牲を払っていることを
個々の背景としてさらっとは描く。

もちろん、本作で被害者が寛容に辿り着いた過程も。

当事者たちにはいずれも背負うモノがあるのだ、


とは言え、そもそもの要因がスクラッチされたときに
彼らは何を思うのか。

あるいは加害者が罪の意識すらなくしていたら
どう向き合えばよいのか。

司法の場でもたびたび挙がる問題を、
搦め手から見せるように製作者たちは提示する。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


事実が明らかになり、
『龍之介』のアーチェリーの成績がふるわなくなるのは示唆的。

なにがしかの負の情動が、
テンションを維持するには必要との描写も、
タガが外れたのちの帰結が三様なのは面白い。

 

わたしの知らない子どもたち@109シネマズ川崎 2026年10月17日(土)

封切り二日目。

席数118の【シアター5】の入りは四割ほど。

 

 

国にとって不都合なことを忘れたり
なかったことにするのが得意な日本だが、
本作での戦争孤児もその一つ。

多く存在したことや、
どう扱われたかは知識としてあっても、
じゃあ彼ら彼女らはどう生きたのかは心許ない。


終戦で疎開先から上野駅に戻って来た『琴子(小八重葵美)』だが、
迎えに来るはずの父母は空襲で亡くなっており、
兄も戦争トラウマで自死してしまう。

天涯孤独となった『琴子』は生き延びるために性別を隠し、
浮浪児となって日銭を稼ぎ暮らす。

本作は上野という限定した場所ではあるものの、
主人公に仮託し、その生き方の一面を見せてくれる。


『小八重葵美』が素晴らしい、
あるときは子供らしい無邪気さ、
あるときは大人も反応できぬような深淵な科白を吐き、
観る者を唸らせる。

爛漫さと翳を兼ね備え、
ほぼ出ずっぱりの画面を最後まで引き締め、
なかだるみすることはない。


大人の右代表としては
『曽根文美子(二階堂ふみ)』がいる。

『琴子』を気に掛ける担任教師ながら、
教え子一人にかまけるわけにはいかず、
加えて幼子を抱えた自身の食い扶持も稼がねばならない
アンビバレンツな存在。

子供に正論で問われ、
言葉に詰まることも多々。

もっともこれは真摯に向き合っている証左とも言える。
大人の男だったら、怒鳴るか暴力で逃げてしまうだろう。


周囲の大人たちは孤児を助けるばかりではなく、
正面から搾取する以外にも、
結果として都合よく使い捨てる者も多く存在する。

『琴子』のケースは
善意の人間に多く、タイミングも善く出会えたことの帰結だろう。


本作は主人公に仮託しながら、
終戦後直ぐの人々を描いた群像劇でもある。

問題意識を持つ人、
より力を持つために他者を切り捨てる人、
上から与えられた正義の名のもとに子供を抑圧する人。

多くの印象的な場面を盛り込んだ結果、
尺は二時間半にもなり、
やや散らばった印象を受ける。

エピソードの多くは途切れてしまい、
帰結を直截語ることはない。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


往時を生きた人たちが、
全て居なくならないうちに、
記憶と記録に留めることにも意義がある。

本作に描かれただけでも、
今に続く事案の萌芽が多くある。

戦後八十年を過ぎて、
こうした作品が出て来る背景を考える。

 

第69回CWAJ現代版画展@ヒルサイドフォーラム 2026年10月14日(水)

この時期恒例の{版画}展。

もう六十九回目になるそうだが、
自分が行ったのは同日を含め四度。

 

 

即売会も兼ねており、
多くの作品は比較的安価(数万円~)で購入可。

エディションもあるので、
モノによっては「持ち帰りできます」の表示も。


訪問日は初日とのこともあり多くの来場者で賑わう。
招待客だろうか、女生と外国人の姿が多いのも目に付く。


目に入って来たのは
「2026年度ヤング・プリントメーカー賞受賞者」と書かれている
『黒金万紘』の作品。

その場では分からなかったが、後で調べると
どうやら女性で「武蔵美」の院に在学中のよう。

で、あれば「卒展」でも観ているハズだが、
残念ながら記憶にはない。

とは言え本作、
周囲を一切削ぎ落としたようなシンプルな表現と
題材としたシチュエーションが面白い。

次回の”五大美”は、
もっと注意して観なくては、と
思わせる。


会期は~10月18日(日)まで。

 

『横尾忠則』にスポットを当てた、
”Yoo Koo Soo 横尾忠則の版画空間へ”も同時開催されており、
ふだんなかなかふれることがない作品を
しかも大量に拝見できる
またとない機会。

(ひみつ)行為の無作為@東京藝術大学美術館 陳列館/正木記念館 2026年10月9日(金)

"三上亮退任記念展"。

 

 

履歴紹介には、
「工芸科陶芸研究室で十年に渡り
教育・研究・制作に携わってきた」と
書かれている。

【陳列館1階】の展示は作品のアーカイブ。
大小や形状もさまざまな作品が
時の流れにより変遷していくさまが見てとれる。


【陳列館2階】は展のタイトルにもなっている内容。
制作の過程で幾多の素材も同時に窯に入れ、
焼きあがった結果を展示する。

これが滅法面白い。

ちょっと見には失敗して毀れた断片も、
実際にはひとつひとつに意図が籠っているよう。

中には内部の状態を確かめるため、
意図的に破損させた欠片もあり。

傍目にはただのカケラも、
制作者にとっては、
気象や窯の温度、燃やす素材、
陶器に使用する土、釉薬、
或いは置き場所、重ね方、等と
多くの条件を掛け合せた成果物なのだろう。


【正木記念館】での展示は〔round〕と題されたもの。

和室空間の畳の上に、野焼きの作品がぽつぽつと並ぶ。

形状も多様な大小の作品が並び、
縁から観れば石庭を眺めている気分になる。


会期は~10月18日(日)まで。

在ることの再演@トーキョーアーツアンドスペース本郷 2026年10月9日(金)

「TOKAS Project Vol.9」の展示。

 

 

五名の作品が並び、
その多くは韓国のアーティスト。


【1F】の入り口は閉ざされている。
ドアを開け中に入れば
そこには『三野新』の作品。

舞台装置にも似た展示で
奥に向かって緩いスロープ構造。
スペースは二つに分かれ、
比較的似た構成。

ウォーキングマシンも両側に二台置かれ、
ゆっくりとベルトは動いている。
もっとも「乗らないでください」の貼り紙はあり、
実体験はできぬのだが。

太いダクトパイプ数本で両側を繋ぎ、
空気を循環させている。
とは言え、両のスペース間に仕切りはないので、
実際には役に立たぬ機能と思える。

分かたれた空間は、
近似であるのに、
なぜかしら分断を感じてしまう違和感。


【3F】の展示は『ウン・ジェピル』によるもの。

日本の歌舞伎には「女形」があるが、
京劇にも同様の役者がいることをついぞ知らなかった。

作者は京劇の女形師匠に学び、
多くのポージングを実践する。

そうした様式が生まれた経緯は寡聞にして知らぬが、
古今や東西を問わず、似た試みがされていることに
あらためて思い至る。


会期は~11月8日(日)まで。

汝、星のごとく@TOHOシネマズ大井町 2026年10月10日(土)

封切り二日目。

席数185の【SCREEN3】の入りは八割ほど。

 

 

『青埜櫂(横浜流星)』と
『井上暁海(広瀬すず)』の
十五年に渡る恋物語り。

十七歳で始まったそれが
三十二歳で終焉を迎える背景こそが
オハナシの行方を左右する。


原作は『凪良ゆう』で
2022年に映画化された〔流浪の月〕と
今回の出演者二人も含めて同じ。

もっとも『横浜流星』はそのとき、
主演ではなく汚れ役だったが。


先作がややのミステリー的要素を含んでいたのに対し、
本作はど真ん中の恋愛作品。
衒いもなく、紆余曲折ある恋模様が描かれる。

普通この手の映画は
観ていて気恥ずかしさを覚えるものだが、
今回は全くそのたぐいの感情は湧いてこない。

寧ろストーリーにぐいぐいと引き込まれてしまう。


舞台は瀬戸内海の小島。

風光は明媚ながら世間は狭く、
それに脅かされるエピソードが頻出する。

ゴシップは瞬く間に島内を駆け巡り、
当事者たちは生き難さを味わう。


{ボーイ・ミーツ・ガール}的に出会った男女が
次第に深く付き合うようになるのは、
互いに家族の欠損を抱えるとの
共通要素があったから。

残っている肉親にしてもさながら子供のようで、
長幼の別さえ判然としない。


良識の無い大人たちを補う役柄として登場するのは
教師の『北原(長谷川博己)』。

一見して掴み処はないが、
教師の枠を超えて超然と対処する彼は
メンターとしての要素も担う。

その提案は、
利己と利他を共に満たす合理的なもの。

もっとも観ている側からは、
時として唖然とする判断なのだが。


主要な登場人物たち以外は全て匿名化されており、
顔かたちさえ判然としない。

その仕立ては『櫂』が東京に出てからも同様。
出版社の編集部にも多くの人はいるが、
ほとんどが記憶にすら残らない。

そのぶん、自ずと近しい人々に
スポットライトが当たる構造になっている。


浮かび揚がって来るもう一つの要素は、
島の自然や風土。

とりわけ、夏の打ち上げ花火が、
関係のメルクマールとして
効果的に使われる。

もっとも当人たちは、なぜかしら
二人して観ることができずに時が過ぎる。

ようやく想いが叶ったあとには、
感情をかき乱す結末が示される。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


主人公たちは高校生の頃から大人びて見える。

家族の環境がそうさせているのだろうが、
逆に長じてからのほうが、
孺慕之思が強くなるような描写。

これも一つの成長譚と言えるのかもしれないが。