RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

わたしは最悪。@TOHOシネマズ川崎 2022年7月2日(土)

封切り二日目。

席数118の【シアター5】の入りは六割ほど。

 

 

成績優秀だから医学部を目指すとは
日本でも良く聞くハナシ。

そこには「医は仁術」との視点は欠けている様にも思われるが
本作の主人公『ユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)』も
それを地で行くような進路選択。

程なく、適性について疑問を抱き、次は心理学、
更には写真と次々と目標が変わって行く。

その過程で、付き合う男性もとっかえひっかえとなるのだが、
はてこれは、一種の自分探しの挫折の繰り返しと捉えれば良いのか。


ストリー上は三人目の相手となるのか、
一回り以上年上のコミック作家『アクセル』との日々は
最初は穏やかなものだった。

しかし自身の家族との相克、彼の家族との葛藤、更には
子を産み母となる可能性が見えてくると
彼女はまた、同じことを繰り返す。


忍び込んだパーティの会場で会った『アイヴィン』は
カフェの店員だが若く、魅力に溢れている。

共にパートナーのある身。
浮気未満の一夜限りの関係のつもりでいたのに、
惹かれ合う二人は、ひょんなことから再会し
焼け木杭には火が付ついてしまう。

しかし、彼とも、何かコトが起これば、
立ち向かうよりも回避を選ぶのでは、と
鑑賞者の側が感じ始めた矢先、
突然の知らせが舞い込む。


そうした『ユリヤ』の生き方は、傍から見ていると
釈然としないものに思えてしまう。

とは言え、難題に対して
常に正面から立ち向かうことを選択する人間は
世の中にどれほど居るのだろうか。

それは男性でも女性でも同様で、
ここではややカリカチュアライズされてはいるものの、
万人に共通の弱さと捉える。


それらを全て吞み込んで、
「自分はこれで良いのだ」と自己肯定できることが
窮屈に生きないための一つの方便にも思える。

勿論、自身を甘やかし過ぎれば、
違う意味で駄目人間になってしまうだろうが。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


人夫々に幸せのカタチがあり、他人にはとやかく言う権利は無いものの、
事有る毎に一方的に突然の別れを告げられる方は
堪ったものではないけれど。

リコリス・ピザ@TOHOシネマズ川崎 2022年7月2日(土)

封切り二日目。

席数112の【SCREEN8】の入りは七割ほど。

 

 

監督の『ポール・トーマス・アンダーソン』は
1970年ロサンゼルスの生まれと聞いている。

正しく、本作の舞台と時代も共通
(場所は言わずもがな。年代も劇中で
〔007 Live And Let Die(1973年)〕が映画館で上映されているシーンがあり
直ぐと特定可能)。

その意味では、直近の『ケネス・ブラナー』による〔ベルファスト〕を彷彿とさせるが、
個人的には1963年生まれの『クエンティン・タランティーノ』による
〔ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019年)〕と同じ文脈を想起する。

時代は少々遡るが、
シャロン・テート』が『チャールズ・マンソン』の一味に惨殺(1969年)されなかったら、との
自身にとってのあらまほしき世界を描いており、
そうであれば勿論『ロマン・ポランスキー』のイマイマも変わっていたはず。

が、それよりも猶、当時のロサンゼルスの描写を克明にすることに腐心しているわけで
それが作品の大きな要素。


翻って本作、
やはり、自身にとっての出生地と、
その近辺の時代の風俗を、これでもかと盛り込んでいる。

しかしそれがトリビア的にあまりに微細に過ぎるため、
彼の国に詳しくない我々鑑賞者にとっては、
たぶん1/100もその楽しさは伝わらず。

歴史を上手くストーリーに取り込んでいるとの推測は可能も、
諸手を挙げて感心とは、なかなかに行かぬのが辛いところ。


高校生の『ゲイリー(クーパー・ホフマン)』は
一回り近く年上の『アラナ(アラナ・ハイム)』を一目で見初め、
強引に交際を申し込む。

最初の内は年齢の差を気にしていた『アラナ』も、
押しに押しまくる『ゲイリー』にほだされ
次第に恋人同士のような関係になるのだが、
そこからが山あり谷ありのジェットコースター状態。

果たして二人の関係は如何に?が物語の流れも、
恋の帰趨に加え作品の要諦である
1970年代のアメリカの風俗を描くことがあまりに細かすぎ、
どうしても気がそちらに取られてしまう(笑)。


話中で言及される幾人かの人物のうち、
バーブラ・ストライサンド』は〔追憶〕が1973年だから、か。

1973年に〔ペーパー・ムーン〕なので『テータム』は『テータム・オニール』のことだろう。

政治家の『ジョエル・ワックス』は実在の人物らしいが、
それよりもゲイを公表し、1978年に射殺されたサンフランシスコ市議『ハーヴェイ・ミルク』を思い出し、
映画化にあたっては本作にも登場している『ショーン・ペン』が演じていたな。

彼が演じている『ジャック・ホールデン』=『ウィリアム・ホールデン』で
グレース・ケリー』と共演した〔トコリの橋(1954年)〕は観てないので、
挿話の、おそらく半分も面白さが判らんぞ、等々。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


人物でもその程度なのだから
風俗については推して知るべし。

ピンボールが規制されたいたことすら初耳。

ましてや「リコリス・ピザ」が
レコードチェーンの名称だなんて。

勿論、それらをエピソードに取り込んだ脚本は
頗る上出来ではあるのだが。

ベイビー・ブローカー@TOHOシネマズ川崎 2022年6月26日(日)

封切り三日目。

席数240の【SCREEN7】の入りは四割ほど。

 

 

共に旅をするうちに、
次第に打ち解け胸襟を開き理解し合う、
或いは過去のわだかまりが氷解する、
{ロードームービー}の基本スタイルであり
本作でもそれはきっちり踏襲。

しかし、その結果の次第は、
切なさと共にほろ苦さも包含。

主人公達にとっては勿論、
鑑賞する側にとっても、
各人の親子や家族関係を思い起こし
心が揺さぶられることは間違いない。


是枝裕和』の最新作は
舞台を韓国に移し、彼が過去から度々選んできた
家族をテーマに人間模様を語る。

物語の発端となる「赤ちゃんポスト」が
日本では二ヵ所しかなく、いくらフィクションとは言え
生々しくなりすぎるための選択かとも思ったのだが、
お隣の国でも施設の数自体は似たようなものなのね。

ただ、年間に預けられる嬰児の数や国の補助の有無、
加えて国民の理解度等、見方には大きな違いがあるよう。

より、一般的な施設であることからの
選択の様な気もする。


そして本作は、映画的な二つの基本、
脚本と映像をよすがにしたにした省略が
頗る良く配されている。

前者で言えば、主要な登場人物達は皆々が何故か不可思議な行動を取る。

雨が降る寒い夜に「赤ちゃんポスト」を訪れた若い母親が、
その中には入れず、わざわざ外に置き去りにする導入部から、
それを見ていた張り込み中の若い女性刑事が、
わざわざ中に入れてやる一連の冒頭の部分がその最たるもの。

以降も、ブローカーの二人の男の態度、ましてや若い方は
ワケのあるその出自を照らし合わせると、行動自体が謎でしかない。

が、矛盾と疑問が渦巻く中、幾つもの不自然な行いには
夫々納得の行く理由が付けられ、鑑賞者の脳内は綺麗に整理される。

手練れの筆致によるものと感心する。


後者であれば、子供をポストに預けた女がショッピングモールで姿を消し、
実際にはトイレに入った後の行為に留めをさす。

子供を産んで間もない女性の生理と、
手放すことによる悲しみが如実に表現されるシーン。

一つの科白も付加されずとも、
見ただけで状況や感情が理解できる秀逸な場面。

ことほど左様に、映画的な造り込みの巧さは、
もう既に職人の域にまで達している。


離婚による親権の問題から、
故有って子供を手放さざるを得なくなったシングルマザー、
生活の困窮から売春をせざるを得なくなった女性の在り様や、
実際に施設に預けられた子供の成長まで
本作で取り上げられる事象は多岐。

一方で、それらに巣食い不正な利益を貪る社会悪の存在も、
仄聞的にはあるものの、遺漏無く俎上に乗せる。

予告編を見た時点では、子供に纏わる取引が
なかなか纏まらぬ{珍道中モノ}と思っていたが、
中途からサスペンスの色合いが濃くなり、
さいごはズバッと社会問題に切り込みつつ余韻を持たせて終わる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


タイトルとなっている「ベイビー・ブローカー」は
人身売買なので犯罪なのには違いない。

が、実際に「赤ちゃんポスト」に預けられた子供が
長じてからその商売に加担していることが本編での一つのミソ。

その動機には何があるのか?
選択権の無い子供の進路に、
大人はどこまで膾炙するべきか。

正解の無い疑問ではある。

メタモルフォーゼの縁側@チネチッタ川崎 2022年6月19日(日)

封切り三日目。

席数244の【CINE6】の入りは四割ほど。

 

 

一口に「BL」と言っても、
描かれる中身は広範。

例えば「BOOKOFF」の売り場では
よしながふみ』も(今でも)「BL」にカテゴライズされている。

西洋骨董洋菓子店〕などは、多少の片鱗が見えるくらいも
〔執事の分際〕あたりでは、かなりハードな描写もこれありで。

まぁ、次第に仄めかす程度の表現の仕方になって行くわけだけど。


で、本作、件の「BL」を鎹に、
随分と歳の離れたJKと老婆が友情を結ぶ。

主演はリアルJKの『芦田愛菜』。
役柄は自分に自信が持てない引っ込み思案の、
世間に数多居る少女。

それが、おそらく六十ほども歳の差がある『雪(宮本信子)』との交流を経て、
大人への階段を登る脱皮をする。

そのために用意されたエピソードは何れも秀逸。
勇気を出しても、なかなかに思い通りにならない現実が
まことに真実っぽい。

そうした通過儀礼を経て、少しずつの成長をするのだが。


それにしても、彼女が演じる『うらら』の態度は
傍から見るとかなり過敏。

以前よりも「腐女子」は市民権を得ていると思うのだが、
そうでもないのかしら。

コミックを買う時にしろ、それをカフェでテーブルの上に置く時にしろ、
周囲への気の使いようは尋常ではない。

一方、同好の士が多く蔓延る「乙女ロード」近辺では、
そうした気遣いは無用のよう(笑)。


宮本信子』の演技については論を待たず、他方
〔星の子(2020年)〕に続きリアルな年代を演じた『芦田愛菜』は
やはり頭抜けた力量と感じる。

とりわけ、難しいと思われる泣きシーンでも、
その自然さに殊の外感心する。

また喜怒哀楽の表現が秀逸で、説明や科白に頼らずとも
内に秘めた感情が皮膚や服装を通しても外に発露するのは素晴らしい。

彼女を観るための一本と言っても過言ではナシ。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


劇中で提示される「BL」コミックのストーリーや科白が
現実の二人の関係性に照射される等の仕掛けも上々の出来。

物語の流れから、そうなる予感は既にしてあるも、
実際に場面として目の当たりにすると
爽快感さえ覚えてしまうのは不思議。

純粋に好きな趣味で繋がり合う交流が
なんとも温かく微笑ましい。

峠 最後のサムライ@109シネマズ川崎 2022年6月18日(土)

封切り二日目。

席数118の【シアター3】の入りは三割ほど。

 

 

本編上映前の予告編に混ざって
長岡市」のPVが流される。

山古志村」の「闘牛大会」。
日本酒や海の幸、山の幸。
松原の景観。
そして郷土の偉人は『山本五十六』と
本作の主人公『河井継之助』。

まぁ、タイアップとしては常套手段と、
善し善しと思っていたのだが、
本編を観、エンドロールも確認して呆然とする。

これと言ったヤマも無く、
感動するほどのオチも無く、
まるっきりの{ご当地映画}の趣き。


例えば〔大コメ騒動(2021年)〕であれば、
ご当地×エピソードを上手く処理したわけだが、
今回にはそうした点は見つけられず。

唯一印象に残ったのは、
妻を演じた『松たか子』の美しい踊り姿だけとは、
かなり残念な内容。


明治維新」は「薩長」の260年を経た「徳川」への復讐であり、
要らぬ喧嘩を吹っかけ、物量頼みの殲滅戦を展開し怨念を晴らした経緯や、
今まで高官に押さえ付けられて来たことに対す反発が根底にある
幕臣への尊大な態度を示したことは画期的。

また主人公の、合理的な思考や
巨視的な先見性を幾つかのエピソードで盛り込んだことも素晴らしい。
こうした人物が政権内に居れば、
どれほど人民の側に立った為政を行ってくれたろう、と。


一方で、本作の造りでは、
そうした合理性を持ちながらも、
結局は武士としての義に囚われ
身を亡ぼしてしまう哀しみを
どれだけ伝えられただろうか。

戦闘シーンも淡々と流してしまい、
挿話間の繋ぎも散発的。

冗長な場面が多く、ストリーテリングも
あまり感心できず。

要は脚本がなっていないことで、
物語全体が浮ついてしまっている。

主人公の父親を演じた『田中泯』、
母親を演じた『香川京子』等、
芸達者を揃え乍ら、その味を生かし切っていない演出も辛い。

もっとも享年41歳の主人公を
役所広司』が演じるのにも無理はあるのだが。
まぁこれは余人がおらず、致し方無しとの側面か。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


それにしても『松たか子』の踊る姿は美しかった。

背筋は伸び、指先まですっと神経が行き届いている。

「名取」とはこれほどのものか、と
改めて感服する。

PLAN 75@109シネマズ川崎 2022年6月18日(土)

封切り二日目。

席数89の【シアター8】は満員の盛況。

 

 

「第75回カンヌ国際映画祭」の「ある視点」部門で
「カメラ・ドール」の「スペシャル・メンション」を受けたとの報に接し、
思い出したのは〔楢山節考(1983年)〕で『今村昌平』が「パルム・ドール」を受賞した履歴。

姥捨山」にも代表される「棄老伝説」は
日本では〔今昔物語集〕にもある馴染みのある説話も、
外国人の目からすれば新奇に見えるのだろうか。


野生の動物なら、老いて自分で餌を獲れなくなれば
自ずと逍遥として死に向かうだろうし、
一方で象などは老練な雌が群れを率いるとの現実もあり。

また「ネアンデルタール人」も
病人や虚弱な仲間の面倒を見る社会性を持っていたらしいことを勘案すると、
我々はよほど彼等よりも劣っているのかもしれぬ。


本作の舞台は75歳を過ぎた老人が
自身の意志で死を選択できる「PLAN75」が法制化された近未来の日本。

老人の増加が国力を弱めるとの、かなり「優生思想」に近い内容だが、
それ以外の社会的弱者にも当該プランが波及するのかは、
ここでは触れられない。

しかし、こうした一種の「ディストピア」でも、
それに群がり不正を行う集団の存在は
軽くではあるものの触れられる。

またそれは「ナチス」が、殺害したユダヤ人の死体から、
金歯や銀歯を抜き取ったとの過去をも彷彿とさせる行為。


もっとも、今の年金制度が維持されれば、
貧困のうちに死を選択する可能性は低かろうが、
それへの締め付けが前段で実施されれば、
選択の余地は無くなるだろう。

或いは、雇用の年齢範囲を狭めてしまえば猶更のこと。
実際、今でも一人暮らしの老齢者は、借家の確保が難しくなって来ていると言うし。

営々と働き税金を納め、勤労以外でも社会や国に貢献した結果がこれでは、
あまりにも報いが無い。

もっとも、それを不思議とも思わぬ、思想の形成が出来上がっているのだろう。

高齢者が希望をもてぬ社会は、若年層にとっても生き辛い世界に違いなく、
システムの下世代への波及は容易に想定されるのだが。


本作の主人『ミチ(倍賞千恵子)』はそうした下地があり
「PLAN75」を選択する。

また申請窓口を担当する職員『ヒロム(磯村勇斗)』は
あることを契機に一連の流れに疑問を持つ。

プラン対象者への心のケアを担当する
コールセンターのオペレーター『成宮(河合優実)』は
電話の先に居るのは血の通った人間であることを
今更ながらに実感する。

そうした幾つかの化学変化が、ラストの美しいシーに結実する。

個人的には、これは暗黒の社会への光明と思いたい。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


劇中『倍賞千恵子』がカラオケで歌う〔リンゴの木の下で〕が
特にその歌詞が重要なアイテムとして機能する。

それは理解しつつも、自分としては、
〔下町の太陽〕を聞きたかったなぁ。

 

日本画・彫刻 過去から未来へ@東京藝術大学美術館 本館 2022年6月12日(日)

実際には【展示室1、2】を使い

「第五回公益財団法人芳泉文化財団 
文化財保存学日本画・彫刻研究発表展 
美しさの新機軸 
日本画・彫刻 過去から未来へ~」

「公益財団法人芳泉文化財団10周年記念特別展 
模写の近代 模写の現代」

の、二つの展覧会が開催されていた。

https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2022/06/housen2022.html

どちらもとっても長いタイトルで、
読んでも発声しても、一息ではとてもムリ。
思わず ほう と、息が漏れてしまう。

加えて会期も6月4日(土) ~12日(日)と極短。
なんとか時間を捻りだし、やって来たわけだが。

 

平たく言ってしまえば、模刻と模写。

それでも原本が何れも素晴らしいので、
忠実に再現された作品を前にすれば、
自ずと背筋がぴんと伸びてしまう。

美術の教科書に載せられ、或いは切手のデザインに採られたそれらは
へえ、こんなに大作だったんだ!
或いは
えっ、こんなに小さかったの!実物は!!と
二重の感動さえ覚える。

古の美しさに心酔すると共に、
それを正確に再現する技術、いや執念にも驚嘆する。