封切り三日目。
席数488の【CINE12】の入りは五割ほど。
言われてみれば改めて気づかされる、
「007」は「殺しのライセンス」を与えられた証であり、
本来的には特定の個人を指すものには非ず。
ところがあまりにも嵌っているため
「001」から始まり、十を超える発番がされているハズなのに
『James Bond』しか居ないような気にもなっている。
本作ではそれに纏わる会話が幾つか交わされる。
彼が長期に渡る不在をしている間に、他の人間がその番号を受け継いでおり、
永久欠番ではなく、ましてや人物を選ぶわけでもないことをネタにした。
思わず微苦笑を浮かべてしまうのだが、
『ダニエル・クレイグ』が主役を演じるようになった直近五作は、
「00*」のライセンスを得た経緯から始まり、
妻にと約束した女性を失い、その復讐(?)を果たし、
また「スペクター」とのかかわりは彼の幼少期から始まっており、
更には愛を交わす新たな女性に再び巡り合い、と
随分と人間臭いし、言ってみれば一代記のよう。
従来の血沸き肉躍るが主体の表現よりも
ドラマ的な描写がより多くなっている。
その流れから行けば、本作の帰結は〔ノー・タイム・トゥ・ダイ〕のタイトルからも
ある程度は想定できるものの
これほど哀切に満ちたラストシーンは嘗て有っただろうか。
{スパイアクションもの}にもかかわらず
思わず胸が熱くなるような。
『ダニエル・クレイグ』も当年取って53歳。
鍛え上げた肉体は見事だが、ぼちぼちアクションをこなすにはきつい年齢か。
もっとも『ショーン・コネリー』は同い年で〔ネバーセイ・ネバーアゲイン〕を演っているし、
『ロジャー・ムーア』は〔美しき獲物たち〕の時に57歳だったことを考えるとまだまだできそうな気もするが。
なのでそれ以外の理由もあるのだろう、今回を最後に降板の背景には。
それらを併せてみるに、エンドロールの後に示される一文は
随分と示唆的。
「007」ではなく「James Bond」と明記されている。
誰がどんな登場の仕方で新『Bond』を演じるのか?
興味は尽きない。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。