RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

女は二度決断する@チネチッタ川崎 2018年4月23日(月)

封切り十日目。

席数107の【CINE1】はほぼほぼ満員の盛況


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それなりに幸せな生活を過ごして来た家族の団欒が
突然に断ち切られてしまう。

それもほんの一握りの悪意ある人達の
身勝手な思い込みのせいで。

そうした時に我々はどのような行動を取るのか。

全てを司直に委ねる?
或いは「ハンムラビ法典」ばりに自分で裁く?

では本作の主人公はどうしたか。


大麻の不法所持の罪で服役中の『ヌーリ』
と結婚した『カティヤ(ダイアン・クルーガー)』はやがて男の子を授かる。

しかし、夫の事務所に息子を預け外出した彼女が
戻った時に目にしたのは
酷く破壊された建物と、原形を留めないほどばらばらになった二人の遺体。

『カティヤ』はネオナチの仕業であると確信し、
実際にそれらしい男女が逮捕され裁判が開かれる。


事件が起きるまでの優しい日常の描写、
そしてその後の一気の転調。

この繋ぎがなかなか素晴らしい。

そして小規模ではあるものの裁判の場面の緊迫感と
主人公にシンパシーを感じている観客の側の義憤を煽らせる工夫も同様。


そして正義が行使されると信じていた彼女を待っていたのは思わぬ判決。
それを受けて『カティヤ』はある行動に出て、更に幾つかの判断を下す。

それがそのまま本作のタイトルになるわけだが、
果たしてそれを我々はどう受け取るか。

カタルシスとは程遠い結末は
人は何の為に生きているのか、との
重いテーゼを観るものに突きつける。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


自身がエージェントである、またはそれに近しい資質が最初からある、
アサシンを雇う、との手を思いつく向きはアメリカ映画の観過ぎ。

ココでの選択は
その何れにも属さないごく普通の主婦が
その場に立たされた時に取りうる一つではあるのかも。