RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

猿の惑星:聖戦記@109シネマズ木場 2017年10月19日(木

封切り七日目。

席数235の【シアター1】の入りは一割ほど。

まぁ平日の昼下がりだし、おり悪く冷たい雨だしで
人出の面では仕方無いのかも。


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前作の〔新世紀〕で、
「猿は猿を殺さない」との自らたてた掟を破り、
人間との対立を煽った『コバ』を亡き者にした『シーザー』が
本作では自分の妻子を殺害されたことにより
人間への復讐と猿達のリーダーとして立ち位置の間で懊悩する。


普段であれば、日本で付けられたタイトルには
ケチを付けることが多いのだけど、本シリーズに関しては
〔創世記〕〔新世紀〕と来て今回の〔聖戦記〕。

特に本作は「出エジプト記」のテイストが紛々と満ちて
まさしく「旧約聖書」の世界観。

割れた海に追手の兵士達が呑み込まれてしまうのに
近似のシーンまでもが用意されてるんだから。

日本の配給サイドは、この流れを最初から解かっていてのタイトル付けだろうか。
もしそうでなければ、凄い僥倖だな。


見方を変えれば、これは 猿 対 人間 だけではなく
普遍的に援用が可能な構成・設定とも言える。

支配者と奴隷とか、昔のアメリカでの白人と黒人とかね。


なのでややステレオタイプではあるけれど
140分の尺はけして冗長ではなく
かなりの緊張感を保ちながら描かれる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


そして観ている最中で我々は、本作の制作者の
1968年封切りの第一作〔猿の惑星〕へのリスペクトの欠片を其処彼処に見つける。

『シーザー』の幼い方の息子の名前は勿論として、
猿の惑星〕で描かれる、人間の知性が退化し
言葉さえ失ってしまったのは何故なのかの答えを
ちゃんと出しているんだから。