RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

世界から猫が消えたなら@109シネマズ川崎 2016年5月19日(木)

封切り六日目。

席数345の【シアター6】の入りは三割ほど。


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函館の街で郵便配達員をしている『ぼく(佐藤健)』は
悪性腫瘍のため、突然の余命宣告を受ける。

そんな『ぼく』の前に自分そっくりの悪魔が
現われ、取り引きを持ち掛ける。


悪魔との取り引きは〔ファウスト〕だろうし
容貌がそっくりなのは、実は自己の投影と理解できる。


で、その肝心の取り引き、
世界からあるモノを消す代わりに
余命を一日だけ延ばして呉れると言う。
何ともちっちゃいなぁ。

先の〔ファウスト〕に比べれば、あまりにも対価が少ない。
オマケに、消すモノの選択権は自分には無く、悪魔の言いなり。

普通応じるか?それとも、明日までの命と聞かされれば
藁をも掴むのだろうか。


そして例によって悪魔の仕掛けは、モノが一つ消えるだけに留まらず、
それに付随する事柄まで一緒に消えてしまう。

で、これに共感できるかが、本作の評価におそらく直結する。

ちなみに最初に消えたのは「電話」。その結果として
間違い電話を契機に付き合うようになった『元カノ(宮崎あおい)』は
『ぼく』に関する記憶がすっかり無くなり、他人のような素振りを見せる。


この一連のシークエンスでは違和感ありまくり。
市電の中で多くの人が持っているスマホは砂の様に消え失せ、
ケータイショップは無くなり、公衆電話も消えてしまう。

いやいや、ちょっと待ってよ。

この世の中から簡便な通信手段が消えたら
街の変容はそんな些細なモノじゃ済まないし。
社会が変革するほどになるでしょ。

容易に想定の付くことも
イマジネーションの限界で空想できないなら、
やらない方がイイんじゃね。

風が吹けば桶屋が儲かる」の都合の良い部分だけを抜き取り
物語の筋立てに合わせて継ぎ接ぎしている。

なので、感情的に全く移入できない。


そんなこんなを繰り返し、
モノが消えるごとに付随する絆も無くなることを重ねて経験した『ぼく』は、
世の中がかけがえのないモノで溢れていることに気付かされる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆。


「今年一番泣ける」が宣伝の惹句だけど、
ごめんなさい、全然ダメでした。

と、ゆ~か、次第に鬱憤に似た感情も湧き上がって来たし。

自分の周りに愛しむべきモノやコトが溢れているのを表現するのに、
なにも複数の人間を死なす必要はないでしょ、非常に安直さを感じる。

作者がそれ程映画好きで感動を与えたいなら、
〔街の灯〕でも観直して、頭を垂れて書き直せ、と言いたいくらい。