RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

妻への家路@チネチッタ川崎 2015年3月23日(月)

封切り三週目。
席数107の【CINE 1】の入りは八割程度で盛況。
客層は高齢者が多し。

イメージ 1


あの喜劇王チャップリン』が
「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である」と喝破した。

蓋し名言であると思うし、本作を観ながら
幾度となく反芻してしまった。


文化大革命」の狂騒から数年、いわれなき罪を着せられ
二十年の長きにわたり服役していた『ルー・イエンシー(チェン・ダオミン)』は
名誉を回復され、嘗て妻娘と住んでいた街に戻って来る。

しかし、そこで目の当たりにしたのは、重度の記憶障害により
実の夫をそうとは認識できなくなってしまった妻『フォン・ワンイー(コン・リー)』の姿。


夫は妻の記憶を呼び起こす為、
あらん限りの努力をするが、何れも実らない。

ついには、妻が望む、ある役割を果たすことで、
傍に居続けることができるようになるのだが、
それは彼が望んだカタチ~夫婦の情愛が通い合う暮し~では当然ない。


本編では幾度となく同じシチュエーションが繰り返される。
夫の新しい試みを目の当たりにする妻。
それらしいBGMが流れ、期待はいやがおうにも高まる。
が、決まって裏切られてしまう。

これが「繰り返しのギャグ」でなく
なんであろう。

勿論、妻を除く当事者達にとって、
なかんずく両親に負い目のある娘『タンタン(チャン・ホエウェン)』には
コトの成就は悲願でもあるわけだから悲劇の繰り返しにほかならない。

そして鑑賞者の側にとっても、
実際には思わず涙腺が緩んでしまうこの「繰り返し」。
当たり前だが、「笑う」どころではなく「悲しみ」のそれなのだ。


評価は☆五点満点で☆☆☆☆★。


果たして記憶は蘇るのだろうか。

夫の帰りを待ち、何度も何度も
駅頭にプラカードを掲げて佇む妻の姿が映される。

彼女には、(夫が)帰ると約束した5日が永遠に繰り返される。
それを不審に思うチカラも、最早無い。

しかし、余韻を残すラストシーンは、
我々の胸に仄かな希望さえ抱かせる。