RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

ONODA 一万夜を越えて@TOHOシネマズ川崎 2021年10月9日(土)

封切り二日目。

席数142の【SCREEN1】の入りは七割ほど。

客層は高齢者が多く、自分も含め『小野田寛郎』の帰還を

リアルタイムで知っている世代と見受けられる。

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このストーリーには当然、前段がある。

終戦から数十年を経ても残留日本兵が潜伏しているとの噂や報道はちらほらと有った。
そんな中、『横井庄一』が1972年にグアム島で「発見」される。
実に戦後27年目のこと。
子供心にも随分と驚いた記憶もありつつ
痩せ細ったその姿は幽鬼を思わせるようであった。


次いでその二年後、『小野田寛郎』がフィリピン・ルバング島で「発見」されるのだが、
我々を更に驚かせたのは、銃器の手入れがちゃんとされており、今でも使える状態、且つ
銃弾もちゃんと残されていたこと。

勿論、用途としては諸々だろうが、
当時の大人達は、旧日本兵の魂を引き継ぐ矜持と、
かなり感傷的にもなっていた。

帰国の際にも、上官の任務解除命令が必要とのプロセスは
やや芝居染みていたけれど。
上官が亡くなっていたらどうしてたんだろう?と
素直に考えたりもした。


小集団での逃避・潜伏生活が悲劇を生むのは
連合赤軍」が起こした一連の事件でも明らか。

足掛け僅か二年で内部崩壊を起こしたわけだが、
それに比べ、旧日本兵の精神力の強さには驚嘆させられるのも事実。
十数年に渡り集団生活を維持していたのだから。

一方で彼等は生き延び、与えられた任務を遂行するために
現地の人にも銃口を向けたろう。
それをどのように総括するか。


と、これらはあくまでも自分の記憶のオハナシ。

その背後にあるものや経緯を、映画は如何に描いたか。

もっとも、原作も含めフランス人による、
フランス人の視点のものとの留意は必要だし、
あくまでも本人から聞き書きを基にしているのだから、
隠蔽や矛盾はあるだろうけど。


観終わって思うのは、〔七人の侍〕を
野盗の視点で描写するとこのようになるかと。

現地住民を侮蔑する呼称で定義し
簒奪の対象としてしか見ておらず。

自分たちが生きる為には
犠牲になって当然とのスタンスは鼻もちならなさが芬々とする。


もっとも、当時の教育を受けた側からすれば当然かもしれぬ。

「生きて虜囚の辱を受けず」との戦陣訓。
ペイロード以上の爆弾を搭載した航空機が離陸できないのは
特攻精神が足りないからとの非科学性
(足りない射程は精神で補うのです、との言も有ったが)。
兵站を無視した現地調達の姿勢。

そうしたものが相俟って形作られた落とし子としか見えず。


もっとも『小野田』に与えられた使命はかなり真逆、
「何があっても死ぬな、生き延びろ」だったわけだから。
が、通常とは異なる命令もやはり悲劇を生むとの証左だろう。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


現実には、映画で語られたよりも、より多くの無辜の民を
手に掛けたのだろうと思う。

またそれが、なかなか投降できない理由の一つであったのでは?と
穿った見方もする。

短波ラジオで世界や日本の情勢を知り、
幾度かの捜索隊を遠目にも見、
或いは、変わって行く島の状況を目の当たりにしながらも、
尚且つ動けなかった理由は、
心中に巣食った陰謀論の塊だけでは、どうにも説明が不足しているよう。