封切り三日目。
席数127の【シアター2】の入りは五割ほど。
1998年制作の自身の監督・脚本作品のセルフリメイク。
その時の舞台は日本、
主役は『哀川翔』『香川照之』の二人だったよう。
今時の人は蛇が通った跡を、
見たことなどそうはあるまい。
自分は昔の人間で、
しかも田舎育ちだからそこそこ目にしている。
太い一本の線が縦に伸び、
鱗の跡が波紋のように横線を描く。
一目で蛇が通ったと判る痕跡。
本作の舞台はフランス。
幼い娘が惨殺遺体で発見され、
父親の『アルベール(ダミアン・ボナール)』は犯人への報復を誓う。
自身の治療のために訪れていた病院で
精神科医の『小夜子(柴咲コウ)』と知り合い、
彼女の助けを借りながら一人また一人と
容疑者を割り出す。
とは言え、やはり素人コンビの稚拙さ。
相手が体力の持ち主であれば
時として圧倒され、窮地に追い込まれる。
が、そうしたピンチも乗り越え、
二人は真の黒幕に近付きつつあるようにも見えるが
その後には死体がいくつも重なる。
しかし、傍から見ていて、どうにも腑に落ちない違和感が。
報復の主体である『アルベール』は全体的におよび腰で、
アシストの立場である『小夜子』の方が積極的にコトを運ぶ。
それは容疑者に対する尋問の場でも明らかで、
亡くなった娘の在りし日の姿をビデオで見せ、
死体検案書を淡々と読み上げるばかり。
こんなあっさりした手法で、
(実際に殺人を犯していたとしても)ホントに自白するか?と
思ってしまう程度の生ぬるさ。
一方の『小夜子』はパートナーの『アルベール』を時として出し抜き、
したたかなネゴシエーターぶりを見せる。
弱気ぶりを叱咤する場面すら見られ、
彼女のモチベーションの高さは、いったいなぜなのか。
とりわけ『小夜子』が、
先を見通したような振る舞いをすることの不可解さ。
この違和感の正体は、
終幕のエピソードで明らかに。
『黒沢清』は、なかなかに手練れの脚本を紡いだもの。
悪の彼岸と此岸の曖昧さを再認識することになる。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
もっとも、全ての真相が明らかになっても、
鑑賞者の側は通常の復讐譚で得られるカタルシスを
微塵も感じない。
それどころか、「蛇の眼」に見つめられたような
ざらっとした不快感だけが残る始末。
『柴咲コウ』の演技の賜物は、
既に狂気に囚われた者の表情を
余すところなく体現する。