封切り二日目。
席数134の【シアター6】の入りは六割ほど。
ここでの精霊は妖精のようなものかと思っていた。
奇しくも1923年は
『コナン・ドイル』がお墨付きをした
「コティングリー妖精事件」の頃にも近しいし。
しかし原題にある「banshee」となると様相は違ってくる。
それはアイルランド民話に登場する
泣き叫ぶ女性の姿であり、
劇中でも
人の死に対し鳴き声を上げるとされており。
本作はそのタイトルが象徴するように、
理不尽な分断と離別と死に色濃く彩られ。
ここ暫くは会っていないものの、
賀状の遣り取りはあった知人から
ふっつりと便りが途絶えたとき、
念のため、翌年も賀状を送り
それでも返信が無ければ、
こちらからも仕舞いに。
自分から進んで止めることはないので、
何を契機にそうした思いに囚われるのかは判然とせず。
それまでの付き合いだったのだな、と
恬淡と思う。
しかし舞台となった
住人の多くが顔見知りであるような狭い島だと
事情は異なって来るだろう、
ましてや、つい昨日までは親しく会話をしていたのに、
突然に絶縁を言い渡されては。
切り出された側の困惑はもっともも、
言い出した方の理由も、実は自分くらいの年齢になると
理解できぬこともない。
カウントダウンを意識し出すのだ。
あと何年健康で生活できるのだろうか、と
やや卑近だが、
あと何回納得できる昼食や夕食を食べられるのだろうか、と
ついつい数え、時として苛立つことすら。
しかし、そのやり場は何処にも無く、
自身の中に澱の様に沈む。
毎日の様に昼過ぎから夜までパブに屯し、
他愛ない会話を繰り返し過ごす日々。
それに疑問を抱いた時に
人はどう動くか。
ここでは複数の鬱屈が語られる。
主人公の『パードリック(コリン・ファレル)』は別として、
彼の聡明な妹『シボーン(ケリー・コンドン)』も
思いを抱える一人。
なまじ才があり、見目も麗しいだけに
小さな共同体の中では浮いた存在。
技能を生かす場もなく、ましてや
結婚すら覚束ぬ。
彼女に取って故郷は、多くの意味で狭すぎるのだ。
近所に住む、
やや知恵の足りぬ『ドミニク(バリー・コーガン)』ですら例外ではない。
家では警官である父の暴力に怯えながらも、
時として深淵な言葉を吐き、彼なりの強い思いも。
『コルム(バリー・コーガン)』が『パードリック』に放った
友情の終わりを告げる一言で、彼女や彼の運命すら
連鎖を起こし変わって行く。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
とは言え、物語の契機となった『コルム』の挙動こそが
どうにも不可解なのには違いない。
我が身を削ってまで、
長年の友人との間に溝を作ることの必要性が心底から理解は不可能。
ただそうした思いに囚われるほど、
彼も閉塞感を覚えていたのかもしれぬ。
一方の『パードリック』も、親しい人に囲まれている風に見え、
実は孤独なのだ。
が、自身はそのことに気付いてはいない。
それが傍目からはあまりにも哀しい。