封切り二日目。
席数112の【SCREEN8】の入りは七割ほど。
監督の『ポール・トーマス・アンダーソン』は
1970年ロサンゼルスの生まれと聞いている。
正しく、本作の舞台と時代も共通
(場所は言わずもがな。年代も劇中で
〔007 Live And Let Die(1973年)〕が映画館で上映されているシーンがあり
直ぐと特定可能)。
その意味では、直近の『ケネス・ブラナー』による〔ベルファスト〕を彷彿とさせるが、
個人的には1963年生まれの『クエンティン・タランティーノ』による
〔ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019年)〕と同じ文脈を想起する。
時代は少々遡るが、
『シャロン・テート』が『チャールズ・マンソン』の一味に惨殺(1969年)されなかったら、との
自身にとってのあらまほしき世界を描いており、
そうであれば勿論『ロマン・ポランスキー』のイマイマも変わっていたはず。
が、それよりも猶、当時のロサンゼルスの描写を克明にすることに腐心しているわけで
それが作品の大きな要素。
翻って本作、
やはり、自身にとっての出生地と、
その近辺の時代の風俗を、これでもかと盛り込んでいる。
しかしそれがトリビア的にあまりに微細に過ぎるため、
彼の国に詳しくない我々鑑賞者にとっては、
たぶん1/100もその楽しさは伝わらず。
歴史を上手くストーリーに取り込んでいるとの推測は可能も、
諸手を挙げて感心とは、なかなかに行かぬのが辛いところ。
高校生の『ゲイリー(クーパー・ホフマン)』は
一回り近く年上の『アラナ(アラナ・ハイム)』を一目で見初め、
強引に交際を申し込む。
最初の内は年齢の差を気にしていた『アラナ』も、
押しに押しまくる『ゲイリー』にほだされ
次第に恋人同士のような関係になるのだが、
そこからが山あり谷ありのジェットコースター状態。
果たして二人の関係は如何に?が物語の流れも、
恋の帰趨に加え作品の要諦である
1970年代のアメリカの風俗を描くことがあまりに細かすぎ、
どうしても気がそちらに取られてしまう(笑)。
話中で言及される幾人かの人物のうち、
『バーブラ・ストライサンド』は〔追憶〕が1973年だから、か。
1973年に〔ペーパー・ムーン〕なので『テータム』は『テータム・オニール』のことだろう。
政治家の『ジョエル・ワックス』は実在の人物らしいが、
それよりもゲイを公表し、1978年に射殺されたサンフランシスコ市議『ハーヴェイ・ミルク』を思い出し、
映画化にあたっては本作にも登場している『ショーン・ペン』が演じていたな。
彼が演じている『ジャック・ホールデン』=『ウィリアム・ホールデン』で
『グレース・ケリー』と共演した〔トコリの橋(1954年)〕は観てないので、
挿話の、おそらく半分も面白さが判らんぞ、等々。
評価は、☆五点満点で☆☆☆★。
人物でもその程度なのだから
風俗については推して知るべし。
ピンボールが規制されたいたことすら初耳。
ましてや「リコリス・ピザ」が
レコードチェーンの名称だなんて。
勿論、それらをエピソードに取り込んだ脚本は
頗る上出来ではあるのだが。