封切り二日目。
席数284の【CINE9】の入りは二割ほど。
冒頭のシーンで、物語のおおよその帰結の予想は付く。
実際のストーリーもそれに向かうように進み、
思った通りね、と
にんまり悦に入っていた。
が、終盤に繰り出された展開は
予想の遥かに上を行くもの。
その素晴らしさに、良い意味での
開いた口が塞がらない状態に。
自分が幼い頃、いや長じても三十路前迄は
銭湯に行くことも多く、身体に紋々を入れた人もそこそこ見かけた。
中には肉襦袢ですかい?と、全身に彫りが入ったおじさんもおり、
そうした人に限って妙に気さくに話しかけて来た記憶。
しかしいつ頃からだろう、それらの外見に対して不寛容な反応が出始めたのは。
ある種の符丁として機能するわけだが、それだけでは是とも非とも
断ぜられないのは何とも難しいところだけど。
一方で、その表現を芸術として扱おうとの方向性は過去からもあり。
写真集も出版されているし、実在のそうした人を集め
出来栄えを見せて貰うとのイベントも開催されていたように思う。
勿論、国内よりも海外に於いて、当該者への興味は深い訳だが。
2000年から始まったシリアでの『バッシャール・アル=アサド』の政権は
次第に独裁の色を濃くし
国内での弾圧の強化、それに伴う内戦化と難民の発生、と
混迷の度は更に深まりつつある。
本作の主人公『サム』もその犠牲者の一人。
謂われなき迫害から隣国のヨルダンに逃れはしたものの、
恋人である『アビール』は体制側の駐ベルギー大使に結婚を迫られ
ブリュッセルに移住してしまう。
全てを失った『サム』だが、やはり『アビール』への恋慕の情はは断ち難く、
現代美術家の提案を受け、自身の背中に刺青を、何とも皮肉にも
査証のそれを掘り、生けるアートして起死回生を図る。
分厚い契約書へのサインと引き換えに手に入れたのは
移動の自由と巨額の報酬。一方で持ち主の求めに応じて
背中を晒すとの不自由も併存する。
傍から見れば、人間らしい尊厳はどこに?との疑念も
自身の想いは果たして那辺に有るのか。
アートの世界は、ある種
やったもの勝ち。
斬新なアイディアや独自の表現を
他に先んじてモノすることが求められているわけで。
その意味で、人間そのものを作品とするとの趣旨は
一方で、その扱いにくさを含め、話題には事欠かぬ。
主人公がオークションされる場面では
思わず失笑するとともに、その異様さにも飽きれてしまう。
もっとも、彼がその時にとった行動は、
会場に居並ぶスノッブへの一つの意趣返し。
ここでは『バンクシー』の「シュレッダー事件」を想起してしまったのだが、
彼は失敗し、『サム』は成功する。
それは難民に対しての、或いは肌の色や、その名前に対しての
見事なレジスタンスとも取れるのだが。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
もっとも、最後のシークエンスは更に示唆的。
例えば茶道具が元の持ち主が誰かにより箔が付き
価値が上がるのと同様、
アートは付加されるストリーにより価格が上昇する。
先に挙げた『バンクシー』の
〔少女と風船〕⇒〔愛はごみ箱の中に〕はその好例。
これにより作品の価値は急上昇し
所有者は巨万の富を得るのだが、
さてこのカラクリは、いったい何時から画策されていたのか?
実は鑑賞者が見せられていたのは、
壮大なミスディレクションなのかもしれない。