封切り九日目。
席数154の【CINE9】の入りは七割ほど。
来場者の中には小学生くらいの年頃もちらほら。
連れてきている親としては教育的な側面を
勘案してるんだろうか。
勘案してるんだろうか。

観終わった途端、いや実際は観ている最中から
「これは敵わん、負けた」と思った。
「これは敵わん、負けた」と思った。
小学生にしてこれかよ・・・・。
所詮は脚本と思わぬでもないが、
それなりのリサーチ後の文章化だろうから。
それなりのリサーチ後の文章化だろうから。
彼の国での映画が文化として取り込まれている粒度を再認識する。
これだけ遍く広がっているのは即ち
良作を量産できる下地が有ると言うこと
(勿論、駄作も多い)。
良作を量産できる下地が有ると言うこと
(勿論、駄作も多い)。
一方、日本では、それをアニメが代替してるんだろが
映画を偏愛している身からするとやはりね。
映画を偏愛している身からするとやはりね。
おっといけねぇ、映画のハナシだった。
数十度に及ぶ手術を経て
状態が安定したことをきっかけに
両親は彼を普通の学校に通わせることを決断する。
状態が安定したことをきっかけに
両親は彼を普通の学校に通わせることを決断する。
その先の展開はある程度想定できる内容ではある。
彼の存在は、静かな湖面にポンと落とされた
小さな石のようなもの。
小さな石のようなもの。
最初は小さな波紋が次第に周囲に広がり
ある時は軋轢を、ある時は融和をもたらす。
ある時は軋轢を、ある時は融和をもたらす。
しかしそれは全て、相対する個人の心持ちが
そのまま映し出される鏡の様な存在。
そのまま映し出される鏡の様な存在。
実際はは彼自身が試金石として機能している訳だ。
しかし本作の秀逸さは、その過程を
主人公の一人称だけで描かなかったことにこそある。
主人公の一人称だけで描かなかったことにこそある。
両親の愛情の多くが弟に注がれることを善しとして許容する姉の存在。
自身の家庭の問題に悩む、その姉の友人の存在。
最初はしぶしぶも、が、次第に『オギー』に魅かれて行く同級生の存在。
夫々が持つ思春期らしい葛藤を上手く織り込みながら
主人公ともども成長して行く姿を瑞々しく叙述したことが素晴らしい。
主人公ともども成長して行く姿を瑞々しく叙述したことが素晴らしい。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。
一つだけ難を言えば、子供は生来もっと残酷なものだし
ほぼほぼ善人だけで占められる登場人物達はやや理想に過ぎるかも。
ほぼほぼ善人だけで占められる登場人物達はやや理想に過ぎるかも。
しかし、そのことも含め
『オギー』を太陽系の中心に据えた世界観は
寓意の背景としても面白い。
『オギー』を太陽系の中心に据えた世界観は
寓意の背景としても面白い。