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気仙沼と、東日本大震災の記憶@目黒区美術館 2016年2月21日(日)

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五回目の「3.11」を迎えるにあたって、の
企画展。

多くの人に来てもらいたいとの意図だろう
入場は無料となっている。

なので、もっと多くの来場者が居るかと思ったら、
自分が訪館したタイミングでは正直拍子抜けするほど、
こんなもんかとややがっかり。

それでも時間が経つ毎に人は増え、
やはりこうあるべきだよね、と
独りごちる。


本展で特徴的なのは、地元の人が被災状況の調査の為に現場に入り
並行して写真で記録して行ったと言うこと。

なので自身も被災者であるし、
日頃見慣れた風景が大きく変わってしまったコトに衝撃を覚えながらの
それは生々しい。

早いものは翌日の日付になっているし。


もう一つは、震災の中で、わけても津波に被害に焦点を当てていること。
それはそうだよね。死者・行方不明者の多くが、この為なんだから。


なので、自分としは珍しく、全てのキャプションを丁寧に読みながら歩を進める。

その内容には、思わず鳥肌が立ってしまう。

車や船、そして流された家もが凶器に変貌してしまうことには
慄然とさせられる。

自分達を快適にするために作られた多くのモノが、
あることを契機に手酷く変容する恐ろしさ。

または過去の教訓を忘れ、或いは意図的に無視した結果による
しっぺ返し。

そう言った事に気を配れば、もっと被害を小さくできたでは
との無念さが、文書からも、勿論写真からも痛いほどに伝わって来る。

それらは事実が語っていることだけど、いちいち数え上げてもキリが無い。
自分の目で確認するのが一番だろう。


中には砂や錆に塗れた文物をパッキングしたものを写した写真がある。
その脇には、元の持ち主であったり、それを拾った人のモノローグが付けられている。

津波で、多くを失ってしまった彼等・彼女らの言葉には、
自分の目からも涙が溢れて来る。

現実の喪失の想いは、こんなにも人の心をうつのだ。