RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

フォックスキャッチャー@チネチッタ川崎 2015年3月1日(日)

封切り三週目。

席数107の【CINE 1】の入りは九割で盛況。


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ここでは幾つかの相克が描かれる。

一つは〔カインとアベル〕から続く兄弟によるもの。
しかし本作では神から(より)祝福されているのは
兄の方であり、レスリングの金メダリストであると共に
指導者としての手腕も評価され、一方、弟はと言えば
異なる階級の金メダリストであるものの、
兄に比しては日陰モノの扱い。
いつか乗り越えることを心の片隅に置いている。

二つ目は親子によるもの。
親は子に、自分よりも上に行って欲しいと望んではいるが、
一方で子のすることを全て肯定するわけではない。
ましてや、『デュポン』家はアメリカきっての名家・財閥にして古い家系。
その御曹司ともなれば、これ以上の功を得るのはたやすくはなく、
古い仕来たりにも締め付けられ、窮屈な思いをすると共に
年老いた母親に何とか認めてもらいたいとあがいている。

そして最後は、男同士のチカラ関係によるもの。
早くに両親を亡くし貧しく育ったため、
近くにいるのは兄の『デイヴ』だけだった内向的な弟『マーク』。
『デュポン』家の直系であるばかりに帝王学を叩き込まれるため、
友人達を排除され育った『ジョン』。
二人共に、他人に対してあまりにも不器用な接し方しかできない。


この三つが交差した時に悲劇が起きる。


なので、現代的なアメリカの病理とか
支配層の堕落といった表現は、本作については当たらない。

実際の出来事であるにもかかわらず、
あまりにも道具立てが揃い過ぎているために
そのような印象を持ってしまうのだろう。

実態は、真っ当な人格者が、
あまりにも不器用にしか生きられない二人の
軋轢の被害者になった体であり、どの時代や場所でも
普遍的に起きる可能性がある。


評価は☆五点満点で☆☆☆☆★。


最早、人格が欠損しているのだろうかと
無表情にも見える『ジョン・デュポン』を演じる『スティーヴ・カレル』。

その体躯や戦績の割にはおどおどとした印象を受ける
『マーク・シュルツ』を演じる『チャニング・テイタム』。

何れもが素晴らしい出来で、
不穏な雰囲気を漂わせて耳に響くBGMと共に、
薄気味の悪い印象を最後まで描き通す、
重要なファクターとなっている。