RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

沈黙のパレード@109シネマズ川崎 2022年9月18日(日)

封切り三日目。

席数349の【シアター6】の入りは八割ほど。

 

 

タイトルを見て、更に予告編を十数度観て、
ああこれは〔オリエント急行殺人事件〕のパターンだなと検討を付ける。

が、それでは、実際にはトリックや構成の三割程度しか
予想できてはおらず。

さすがに『東野圭吾』だけあり、
凡百な組み立てに堕することはなく、
鑑賞者や読者を惑わせるレッド・へリングを巧く織り込みながら、
裏をかく手管の冴えは変わらず素晴らしい。

「パレード」との単語にも二重の、
「沈黙」に至っては三重の意味付けが成されていたことにも
鑑賞後驚く。


十五年前の幼女殺人、
そして三年前の少女殺人。

両方の事件で犯人と目された容疑者は、
取り調べ時に完黙を貫き通し、
裁判で無罪、或いは保釈となってしまう。

ところが、地域の商店街の催事パレードの日、
件の容疑者が変死体で発見され、
警察は少女の親族やその周囲の人物が犯人ではないかと検討を付けるのだが、
全員にアリバイが存在し、捜査は行き詰まる。


そこからが『ガリレオ/湯川学(福山雅治)』の面目躍如は常の通り。
解決に向かい邁進する。

ただ今回は、語り口の緩急にややのキレの悪さがが見られ。
とりわけ殺人のトリックを見破るまでの過程が性急に過ぎる印象。
人間ドラマを厚めにするためのやむを得ぬ仕儀との認識も、
推理をする過程のダイナミズムをかなり損なってしまっており。

またそのドラマ部分も、シリーズに通底する、殺人を犯さざるを得なかった理由と
それに付随する悲哀が、少々浅薄。

もっともこれは〔容疑者Xの献身(2008年)〕の圧倒的な絶望と救済、
それに対する情愛を見てしまっているからの比較で
本作単体であれば、そこまで目くじらを立てることはないかもしれぬ。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


映画化三作品では
容疑者Xの献身〕>〔沈黙のパレード〕>〔真夏の方程式〕の順の出来か。