封切り二日目。
席数157の【SCREEN1】の入りは七割ほど。
〔カラーパープル〕は1985年の
『スティーヴン・スピルバーグ』監督による{ストレートプレイ}版
(正しい表現ではないのだが{ミュージカル}の対語として)も観ているが
その時とは鑑賞後の感じ方が随分と異なる。
強いて言えば、
前作は黒人女性の「リベンジ」を含めた「自立」の物語り、
対して本作は大いなる「許し」「寛解」の物語り。
今回『スピルバーグ』は製作として名を連ね、
『クインシー・ジョーンズ』は
おそらく音楽関連だろう同様にクレジットされており。
原作者の『アリス・ウォーカー』は
娘の『レベッカ』と共に製作総指揮としての立場だが
その影響もあるのだろうか。
(もっとも、もう四十年も前に一度観たきりなので、
記憶はかなりあやふやなのだが・・・・)。
先の作品でも何れも良質な音楽は既にして印象的だった。
冒頭、二人の少女が歌いながら手遊びをするシーン、
『セリー』の夫『ミスター』の横暴を揶揄するように歌うシーン、等々。
{ストレートプレイ}にもかかわらず
多くの楽曲で溢れていた。
本作は{ミュージカル}とのこともあり、
その面では更にパワーアップされている。
外連味のある集団でのダンスシーンを含めて。
また、鳥肌が立つほどの
最期の一連のシークエンスはとりわけ感動的。
とは言え、黒人女性が虐げられてきた歴史の描写はそのまま。
ただでさえ白人からは差別されているのに、
その中でも女性は一段低い地位に在り、
生まれては父親から、嫁いでは夫から暴力と性的な抑圧を受ける。
まさに女は三界に家無しの状態が、
親から子から孫へと連綿と繋がって行く。
もっとも、そうした男性の側も
親から女性に対しての偏見を教え込まれ、
暴力を振るうのを当たり前に見てきたことを考えれば、
子供は育てたように育つとも言うべきか。
そうした負の連鎖を断ち切るきっかけは
社会環境の変化もさることながら、
個人の心の解放が大きな要素となることが印象的に描かれる。
やはり記憶に残るシーンは
訪ねて来た夫の父親に水を出す時に
コップの中に唾を吐き入れ素知らぬ顔で渡すなどの
最初は小さなレジスタンス(これは先作でも同様)。
やがて次第に大きなうねりとなり、
激しい抵抗へと昇華する。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
一つ主人公に限らず
牧師の娘でブルース歌手の『シャグ』についても
同様な「許し」がサイドストーリー的に語られる。
彼女は『セリー』を導く役柄が有りつつ
個人的な葛藤は抱えている。
もっとも、こちらに暴力性は絡んではいないのだが。
総じて、単なる{ミュージカル}化ではなく、
イマらしい要素も取り込んだ「リメイク」が本作の本質ではないか。
『ミスター』を
直ぐに暴力に頼る粗野な男とステレオタイプに貶めるだけでなく、
複雑な人間性を付加したこともその要素になっている。