本日初日。
席数244の【CINE6】の入りは八割ほど。
『リチャード・ドーキンス』は〔利己的な遺伝子〕の中で
遺伝子の振る舞いについて書く。
生物は遺伝子の乗り物(ビークル)であり、
自己の、或いは自身の属するグループの遺伝子の複製を残すための最適な選択をする(かなり意約)。
それは愛情とか、本能と表現されるものか。
母親が我が身を犠牲にして子を救う、
または同族の年長者が身を挺して年少者を助ける等が挙げられるわけだが、
近年はこれに反する事例もまま見受けられ。
子供をネグレクトする、または虐待死させてしまうなど、
これは果たしてイマイマの社会が生んだ病理なのだろうか。
本作は三代に渡る母娘の物語り。
『ルミ子の実母(大地真央)』~『ルミ子(戸田恵梨香)』~『ルミ子の娘/清佳(永野芽郁)』の
世代の流れの中で、とりわけ『ルミ子』と『清佳』の愛憎が
時には母の視点で、または娘の視点と入れ替わり描かれる。
とは言え話者が変われば、見え方や感じ方も変わるのは当然。
一概に、どちらが正でどちらが誤とは断じられず
やや曖昧模糊とした語り口。
唯一明確なことは、「すわ鎌倉」の際には
『ルミ子』は自身の娘よりも
母親を助けることを選択する、
母子密着も極まったスタンスであること。
雛鳥のように母親に庇護されての暮らしの温かさが忘れられず、
長じてもその余韻を求め続けているようにも傍目には見え。
妊娠が判った際のモノローグからも明らかなように、
自己の遺伝子の複製を生み出すことに嫌悪感さえ覚えている
先の理論とは真逆な言動に唖然としてしまう。
また、年上の女性への恭順が、実母だけでなく、
形を変えて『義母(高畑淳子)』にも向けられた時には
猶更の違和感。
一方、そうした環境で育った『清佳』も
周囲の、特に年長者の言動を気にしてしまうのは致し方のないところか。
氏より育ちとの格言にある如く、
周囲の環境が人格形成に大きく寄与するのは当然のことであるけれど。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
終盤に明かされる「衝撃的な真相」も
それ以前に複数回仄めかされはしていたので
さして驚きはせず。
女性達の相克についての表現は十分も、
そもそも義母との同居の件や
『清佳』の選択の唐突さについては首を捻る流れ。