封切り二日目。
席数246の【シアター1】の入りは三割ほど。
予告編や宣伝の惹句からは、
〔嘘を愛する女(2018年)〕の類似のプロットとの受け取り。
長年連れ添い、子まで成したパートナーの突然の死が契機となり
その人物の経歴が、聞かされていたものとはまるっきり違っていることが判明するとの
驚天動地の展開。
ちなみに先作は
「TSUTAYA CREATERS'PROGRAM FILM 2015」のグランプリ。
そして本作は、『平野啓一郎』による2018年刊行
「第70回読売文学賞」受賞小説が原作。
とは言え、やはりプロの文筆業者による作品は
シチュエーションの設定は似ていても、
単なるサスペンスにとどまらず、今ある社会問題を複数盛り込み
より高レベルに昇華させている。
離婚をして長男を連れ故郷の宮崎に戻って来た『里枝(安藤サクラ)』は
林業に従事する『大祐(窪田正孝)』と知り合い結婚、
長女も生まれ幸せな生活をおくっていた。
しかし、『大祐』が事故で亡くなり、
彼の実家に連絡を取ったことから、
実は全くの別人だったことが判明する。
『里枝』は旧知の弁護士『城戸(妻夫木聡)』に
身元の調査を依頼するのだが、
そこからは悲しい過去が浮かび上がって来る。
彼は実際には「誰」で、戸籍を変えてまで消したかった過去とは
いったい何だったのか。
先に挙げた「社会問題」は
大まかには「差別」とカテゴライズすれば良いか。
それは民族であったり、出生地であったり、親族が犯した罪であったりと、
何れもが自身にはどうにもできない性質によるもの。
なのに個人を識別するラベルの様に、好むと好まざるとにかかわらず
執拗に一生付いて回り、当人を評価するべく機能する。
人間の本質とは、まるっきり関係の無いことであるのに。
とは言え、考えてみれば、名前も似たような性質を持っているかもしれぬ。
本来は個々人を識別するための呼称なのにもかかわらず、
なんとなく人となりさえ現わしてしまうように思えるのは、
我々が名前に対して言霊に近い殊更の価値を見い出しているからなのかもしれない。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。
全ての疑問が解き明かされた時に、
主人公二人の馴れ初めのシークエンスには
実は重要なヒントが幾つも隠されていたことに今更ながらに気付く。
原作の功か、脚本の巧さかは知らぬが、
なかなかに良く出来たエピソードの埋め込み。
そして最後のシーンでは、実は人間は思いの外
容易く他人を詐称できることが示される。
ちょっとしたきっかけで、
人のエピソードを拝借する
或いは成りきるのは、普通の人でもあること。
ましてやアイデンティティーが揺らいだ時であれば、
猶更のことだろう。
要は程度問題なのだから。
冒頭とエンディングで示される絵画、
『ルネ・マグリット』の〔複製禁止〕はきわめて示唆的だ。