RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

宿場から明治の川崎へ@東海道かわさき宿交流館 2024年4月7日(土)

 

以前にも似たような展示があったとの記憶。
六年近く前だろうか。

その時の『和宮』のエピソードが
今回もやはり使われている。


また「宿場」をテーマにしたものも同様。
五年ほど前にも。


展示は写真とそれを改設するパネルで
少々、寂しい。


会期は~5月26日(日)まで。


 

 

アイアンクロー@TOHOシネマズ川崎 2024年4月7日(日)

封切り三日目。

席数147の【SCREEN2】の入りは六割ほど。

 

 

昔のプロレスラーは
今にも増してキャラが立っていたなと思う。

例えば「吸血鬼」と呼ばれた『フレッド・ブラッシー』は
歯をやすりで研ぎながらの入場。

勿論、実際に歯に当てていないだろうし、
「噛みつき」そのものも反則技、とは言え
カウント4までなら許されるとのルール(?)を逆手に取った
一種のギミック。

それを斟酌せず、幼い頃は随分と興奮したもの。


また、技の名前とレスラーの名前が紐づいているのもお約束。

『ブル・ロビンソン』なら「人間風車(ダブルアーム・スープレックス)」、
ブルーノ・サンマルチノ』なら「人間発電所」で「カナディアン・バックブリーカー」と、言うように。

で、今回のタイトルにもなっている「アイアン・クロー」。
本来なら「ブレーン・クロー」が正式名称も、
「アイアン・クロー」と呼称されれば、
第一の使い手『フリッツ・フォン・エリック』と一体化。

1960~70年代は『馬場』や『猪木』と抗争を繰り広げ、
利き手の右手首に左手を添え、大仰にこめかみを掴むシーンを今でも覚えている。

もっともその対抗措置として、
手を鉄柱に打ち付ける等を、やはり芝居っ気たっぷりに行うのだが(笑)。


本作は彼が引退しプロモーターになり、
四人の子供(実際子供は六人。長男は夭逝、六男はいないことになっている)を
プロレスラーとして育て上げることから始まる。

父親として『フリッツ』は「プロレス界で最強の一家」になることを目指すも、
不思議なことにプロレスラーになることを表立って強制はしない。

寧ろ息子たちが自発的にそうなるようにソフトに誘導。

とは言えそのスタンスが、後々息子たちを苦しめ、過剰なプレッシャーを与え、
悲劇の連鎖を生む要因に。

アドバイスやいたわりの言葉を求めても
「そんなことは兄弟間で解決しろ!」と言い放つ、
ある種の責任逃れ。

レスラーやプロモーターとしては優秀も
家族の長としてみた時には首を傾げざるを得ない。

そこが〔ドリームプラン(2021年)〕で描かれた父親像とは
かなり違っているのだが、どちらも
近付きにはなりたくないタイプ。


が、主人公はあくまでも「フォン・エリック・ファミリー」の長男としての(実際は次男)
『ケビン(ザック・エフロン)』。

一番最初にデビューしたものの、弟の『デビッド』ほど口も達者ではないし、
『ケリー』のように華もない。

ピンでは輝けずに「エリック兄弟」の構成員としての価値しかなく、
チャンピオンベルトへの挑戦権もままならず。

弟の二人ほど、自分の記憶にも残っていない。

もっとも自分がプロレスをよく見ていたのは
『デビッド』が日本で客死し、
『ケリー』が「狂乱の貴公子」こと『リック・フレアー』を破り
「NWA世界ヘビー級王者」戴冠の頃までで、
その後の「呪われた一家」となった背景も
この映画で初めて知ったくらい。


太く短く生きるのと
細く長く生きることはどちらが幸せとの命題は、
ここでは後者を是としているよう。

弟たちを思いやりつつ、
父親の頸木を断ち切った者は今でも存命、
大家族の長となっている。

ただ、自身の子供の何人かは
やはりレスラーになっており、血は争えない、か。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


劇中「ショー」との表現が頻出し、
ブルーザー・ブロディ』が試合前に「アングル」を段取りするシーンも挿入される。

じゃあ、まるっきり筋書きのあるドラマかと言えば、
リング上での怪我は日常茶飯時で、時として死者さえ出る現実。

当の『ブロディ』もロッカールームで同僚に刺殺される等の
事件も頻発。

有名な一家に仮託し、プロレス界の典型的な裏面史を語るのが目的なのか、
それとも心優しい男の半生を描くことが目的なのか、
焦点がぼやけてしまっているのはどうにも不満。

 

パスト ライブス 再会@TOHOシネマズ日比谷 2024年4月6日(土)

封切り二日目。

席数98の【SCREEN6】は満員の盛況。

 

 

冒頭のシーンは諧謔に満ちている。
バーカウンター並んで向かう三人の男女。
一人の男性と女性はアジア系、
もう一人の男性はアングロサクソン風。

傍目からは、観光で訪れたアジア人夫婦と
ガイドの白人男性か、それとも・・・・、と
口さがない。


実は自分も似たような体験が。
部下だった女性が国際結婚をしてスペインに移住、
久々に帰国するので呑まないかとの誘い。

酒の席で彼女と自分は日本語、
彼女と夫はスペイン語
彼女の夫と自分とは片言の英語での会話。

三角形のやり取りが続くなか、
彼女がトイレに立った時の間がなんともぎこちない。

自分と彼女に恋愛感情が無かったことは
幸いだったが・・・・。


幼馴染の男女が、少女がカナダに移住することで離れ離れになる。
往時十二歳の二人は、互いに淡い恋心を抱いていた。

それから十二年後、
たまたま『ノラ(グレタ・リー)』が『ヘソン(ユ・テオ)』の名前をネットで検索したことから、
不思議な縁が二人を再び結び付け、折にふれSkypeで会話をするように。

とは言え、彼女はニューヨーク、彼はソウルの時差十三時間、
一万キロ以上離れた遠距離。次第に心の隙間が広がり交流は途絶え。

更に十二年後、『ノラ』は既に現地で白人男性と結婚をしており、
それでも『ヘソン』は彼女に会うためニューヨークへ向かう。


物語りは三つの時点で語られ、その間に何があったのかは
ほとんど触れられない。
逆にそのことが見る側の想像をたくましくさせる。

今でも『ヘソン』は彼女のことが好きなのは明白。
一方の『ノラ』の態度からは彼への未練は微塵も感じられないようにも見える。

なまじ自分が男であるだけに
切ない想いの『ヘソン』についつい強く感情移入。

もっとも『ノラ』の夫も、彼なりの不安を持つ。
彼女の変心の可能性を日頃の言動から気にせずにはいられない。


韓国語での「イニョン(因縁)」や「輪廻転生」について幾たびも語られる。
前世や前々世に於いて、二人は何らかのカタチで関わって来たとの。

が、夫婦であったかもしれない可能性にはついぞふれられることはない。


三様の思惑が絡み、
幾つもの可能性を孕みながら、先の読めぬストーリーは静かに進む。

そして二人がUberを待つシーンで万感の想いが溢れ出す。
2分と区切られているのに永劫に近く感じる秀逸な場面。

劇中で挿入された〔エターナル・サンシャイン(2004年)〕とも繋がり昇華。
先の映画は失恋の痛手を癒すため、それに係わる記憶を消す手術を受けるSF映画だが、
本作では互いの思慕は忘れられることはない。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


ちょっとしたボタンの掛け違いが望まぬ結果に繋がる悲愴。

時を経てから取り返そうとしても
時間は巻き戻ることはない。

過去の悲しい想いを持ちながの人生はあまりに辛いのか
それとも抱え込みながたおやかに生きるのか。

ココロの芯まで揺さぶられる{恋愛映画}の佳作。

 

 

歳時記 暮らしの中の祈り@新宿歴史博物館 2024年3月23日(土)

「@キャノンギャラリー」で観た〔祭り〕と近似のテイスト。

 

 

一年十二ヶ月、更には四季折々の行事や風習の展示。

勿論、同館ならでは、写真だけでなく絵や文物も多々。


正月の〔唐湊器〕。
神社での豆撒きに使われる〔節分枡〕。
古い家であれば、使用されていたであろう数々の機器。

〔天狐面〕のように「社中」が保持しているもの。

【新宿】ならではの「鉄砲百人隊」の具足。

高田馬場】の「水稲神社」で行われている「流鏑馬」。


新年であれば寿ぎ、
神や自然を敬い、
実りに感謝する。

そうした日々の暮らしの中の込められた「祈り」が
様々なカタチを取りながら表出する。


会期は~6月16日(日)まで。


美と殺戮のすべて@チネチッタ川崎 2024年3月31日(日)

封切り三日目。

席数191の【CINE10】の入りはほんの十人ほど。

 

 

普段なら{ドキュメンタリー}の類は観ないのだが(除く、テレビ視聴)、
本作は現時点で
IMDb:7.5
Metascore:91の高評価。

加えてスポットライトがあてられる『ナン・ゴールディン』は女性の写真家で
『YMO』の写真集〔NOT YMO - YMO in NEW YORK〕も撮り、
或いは『荒木経惟』とのコラボもあり。

本来の彼女の作品は「サブカルチャー」や「アンダーグラウンド」をテーマにした
センセーショナルなものであることも背中を推す。


ところが映画は、彼女や支持者たちが「MET」を訪れ、
製薬会社を非難するデモンストレーションを繰り広げ、
ダイ・インをする場面から幕を開ける。

警備員に阻まれ、来場者の好奇の目が集まるなか、
強い意志での行動。

製薬会社を営む大富豪『サックラー』家が
自社の「オキシコンチン」による薬物中毒で
全米で五十万人以上が死亡する原因になった事実に背を向ける一方で、
一家が美術館に多額の寄付を行い、
家名を冠したコーナーを設けていることに抗議したもの。

同様の示威行動は「グッゲンハイム美術館」を始めとして、
「サックラー」が寄付をし、
その名が記されている多くの美術館で行われる。


{ドキュメンタリー}を観て気になるのは、どこまでは「素」であり
どこからが「作為」なのかの境界は鑑賞者には捉えきれぬこと、また、
制作者の主観はどうしても入るので
必ずしも中立的で客観的なものではないこと。

わけてもモノローグのシーンは
語り手が虚飾を捨て去り、
ありのままを告げているのかは疑問に感じるところ。


映画は彼女の現在の「活動」と並行し
幼少期の経験、世に出るまでの経緯を
あけすけに描く。

姉の『バーバラ』を自殺で亡くしたこと、
活動初期の被写体でもあった「LGBTQ」の知人たちをエイズで亡くしたことが
彼女の作品にも、またイマイマの活動にも大きく影響を与えたことも。

とりわけ後者については、一部のコミュニティ間での奇病との
どこか他人事の政府の無策が、結果、被害を拡大させたことが
今でも怒りとなり行動原理となる。


その中で浮かび上がって来るのは、
なんと凄まじい半生か。

両親との関係性には壁があり、
恋人からは暴力を振るわれ失明寸前に追い込まれ、
自身も薬物中毒からの離脱を経験。

とは言え、それら全てが芸術と活動のバックボーンになっているのだ。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


環境活動家による気候変動への抗議として
名画にスープ等を投げつける
自分の手を接着剤で貼りつける
等が成されたことを思い出す。

それと本作での彼女等の行為を
どうしても引き比べてしまう。

アーティストが行うだけあり、
より{インスタレーション}に近いとの感想を。

 

オッペンハイマー@109シネマズ川崎 2024年3月30日(土)

封切り二日目。

席数127の【シアター2】は満員の盛況。

 

 

「NHK」の「映像の世紀バタフライエフェクト」、
 2024年2月19日の放送は〔マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪〕。

本作の良い予習になると同時に、
幾つもの感嘆すべき内容が。

一つは国家を挙げてのプロジェクトだけあり、
多くの映像が残されていたこと、
もう一つは本作でも同様のシーンが再現されていたこと。

最近流行りの『キリアン・マーフィー』の主人公への激似さは驚きも、
クリストファー・ノーラン』は
脚本や監督にあたり、過去の映像をつぶさに確認し
印象的な場面を援用したのだろう。

が、個人的にもっとも嘆いたのは
兵器開発のために、砂漠のド真ん中に街を一つ造ってしまうだけの力のある国に
戦争を仕掛けた当時の大日本帝国の指導層の判断なのだが。


二つの物語りが同時並行で描かれる。

一つは「原爆の父」とされる『ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィー)』の盛衰
(このパートはカラーで)。

もう一つは彼に(最終的に)敵対し引きずり降ろそうと画策する政治家
『ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)』の暗躍(こちらのパートはモノクロで)。

オッペンハイマー』の造形はエキセントリックで女好き。
それが先々の禍根を生むことは明白ながら
ずぶずぶと男女の関係を結ぶ。天才にありがちなタイプではある。

『ストローズ』は私怨に近い感情から
絶頂にある『オッペンハイマー』を「赤狩り」を利用することで排斥し、
その機に乗じ、更にのし上がろうとする。

味方と思っていた人間の裏切りを共に味わい、
それが濃厚なドラマとなり昇華する。


ここで思い出されるのは、
イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 (2014年)〕
での『アラン・チューリング 』。

戦況を変える偉業を成し遂げた彼は
同性愛が元で国から捨て去られるように41歳で死去する。

国家の非情性が二人に重なって見える。


三時間の尺を使い、エピソードもふんだんに盛り込み、登場人物は多数。
目まぐるしく変転する画面に、とても頭の整理や理解は追いつかない。

ため、人名を紐付けるのは中途から諦め、
シーン毎に記憶を呼び起こすことに専念し対応する。

それでも各人の役割が不明朗になる瞬間もあり、
もっと枝葉を整理することはできなかったのか、との
恨みは残る。


ナチスに先んじることを第一義に「マンハッタン計画」に邁進、
「トリニティ実験」を成功させた瞬間の高揚感。

一方で、自身が生み出した大量破壊兵器が実際に使われる段になり、
その威力に畏怖する科学者や愛国者を離れた人間臭さを垣間見せる言動。

同時に、当時ですら、原爆の投下に反対し
署名活動まで行った識者がアメリカ国内に存在したことは
僅かながらの無聊となる。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


劇中で語られる、
スターリン』が日本への原爆投下を望んだとのエピソードは、
8月8日のソ連対日宣戦布告を見据えてのものなのだろう。

今も変わらぬ同国の狡猾さと共に、
クリストファー・ノーラン』がそこまでの意図を組み込んだのかは
気になるところ。

 

建立900年 特別展「中尊寺金色堂」@東京国立博物館

珍しく正規料金の1,600円を支払っての入場。
諸般の事情で前売り券の購入も叶わず。

 

当日は、事前に混雑状況を専用の「X(旧Twitter)」で確認。

確かに窓口の並びはゼロも、入場までの待機列は40分を告げられる。
係りの人によるもと「この時間帯では恒常的にこの程度の待ち時間」とのこと。

まぁ実際には、そんなに待つこともあるまいと、
列の最後尾に。
思惑通り、30分も経たずに入場。


展示は【本館 特別5室】のみで
かなり狭い室内。中は人がごった返しており。

が、夕刻が近づくに連れ、人の波はおさまるのは
こうした展覧会でありがちなパターン。


周囲のぐるりには文物が並び
中央付近には目当ての仏像が計十一体。

真ん中には【阿弥陀如来坐像】、
脇仏として二体の【観音菩薩立像】【勢至菩薩立像】。

更にそれを挟むように【地蔵菩薩立像】三体が二ヵ所に。


しかし何れもが、拍子抜けするほど小さなお姿。
体躯は1mもないのでは。

透明なアクリルケースに入り、
光背も外されているので360°のぐるりと
お背中も拝見できるのは嬉しい。

どの仏様も柔らかで慈に満ちたお顔は
観ているだけで心が安らぐ。


が、もっとも心を持って行かれたのは
持国天立像】と【増長天立像】の二体。

こちらも大きさはさほどでもなく、
しかし躍動感が素晴らしい。

ほぼ相似対称の見た目は、
邪鬼を踏みつけているのだが、
衣の翻り具合からし
天空からふわりと降りて来たとの形容が合う。

懲らしめるのではなく、抑え付けるような造形は、
「スーパーマン」がマントをはためかせ着地したかのよう。


入り口直ぐのスペースでは「NHK」による8KCGが流される。
その精細さと迫力は半端ではなし。

が、逆にそれを見た後で実物の仏様に相対すると、
その小ささに驚いてしまうのだが。


会期は~4月14日(日)まで。

 

常設展も鑑賞可なので、駆け足で観て回る。
それにしても、外人さんが多いなぁ。
八割方そうではないか。