封切り四日目。
席数107の【CINE1】の入りは七割ほど。
おそらくは『牧野富太郎』も
同じにカテゴライズされる人間だったのではないか。
生活力はさらさら、経済観念も皆無の。
周囲がフォローしなければ靴の紐さえ結べず、
纏まった金が入れば後先を考えずに
研究と女遊びに注ぎ込んでしまう。
しかし多くの人に引き立てられ慕われもし、
百年以上先にも残る偉業を成した。
彼我の差は、那辺にありや。
『ツチヤタカユキ(岡山天音)』は
笑いに取り憑かれた男。
常に笑いを追い求め、
なにをそこまで・・・、と傍目には思える
厳しい修養を自己に課す。
が、それは笑いに限ったことであり、
前提となる生きる術に関してはからっきし。
コミュ力の低さは自覚も、
改善するつもりはさらさらなく、
自身が常に正しいとのスタンスは当然
周囲との間に軋轢を生む。
報酬は何の対価として得られるのか、
人間はなぜ挨拶をするのか、
何かをして貰った時に謝意を伝えるのはなぜか。
思い至ることすらまるっきり欠落しており、
強制する社会や習わしの方がおかしい、
要は人にはできない笑いを生み出せた者が勝ちとの信条。
とは言え、彼の目指す笑いは刹那。
例えば『ビートたけし』のキャッチーなフレーズは記憶も
その前後の「MANZAI」の内容を
どれほどの人が記憶しているだろう。
そうまでして賭す背景は見えては来ない。
彼の奇矯な行動と
笑いの為に手段を択ばぬやりようは
見ていて痛々しい。
感情移入はおろか、
傍に居れば必然的に距離を取りたくなるような。
にもかかわらず、物語りの主人公とした時には
異なる側面が表出。
エキセントリックな振る舞いが
俄然特筆すべき点に映る
(まぁ、自分の近くに居られるのは
ごめんこうむりたい)。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
己が求める笑いや、他者への不寛容のため、
引き立ててくれる数人の味方さえ結果裏切ってしまうのは痛々しい。
ただ、実態がそうであれ、役者が熱演をし
スクリーンを通して観客が観た時に
なにがしかの感銘を受けるのは不思議ではある。
とりわけ
業の深さを見せつけられるラストシーンで
それを強く感じ取る。