RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

逆転のトライアングル@チネチッタ川崎 2023年2月25日(土)

封切り三日目。

席数244の【CINE7】の入りは七割ほど。

 

 

リューベン・オストルンド』監督の前々作、
〔フレンチアルプスで起きたこと(2014年)〕は
何とも皮肉な映画だった。

フレンチアルプスの高級リゾートで
スキーを楽しむ若い夫婦と幼い子供達。

ところが人工的に起こされた雪崩が
計算を誤りレストランのデッキ迄流れ込んで来る。

パニックになった夫は、妻と子を置き去りにし、
自分だけが逃げ出す。

結果、誰も怪我をせずに済むのだが
夫婦の間には気まずい空気が漂う。

また、自分が我先に逃げたことを友人たちにも認めない夫の態度に
妻は不信感をつのらせる。


観ていても気まずく、不愉快になる一方、
男は常にマッチョで家族を守るものとのテーゼにも
疑いを持つのも確か。

本作は先の作品とも、かなり近似のテイストを感じるのだ。


物語りは、三つのパートで構成。

先ずはレストランで
若い男女のモデルが食事の支払いを巡って言い争いに。

男性モデルの収入は、女性のそれに比べ1/3程度しかないとの知識が観客に与えられ、
且つ、今回は女性が言い出した食事であることにも触れられる。

それでも払いは男性がするの?との
世間的な通年への疑念。


二つ目のパートは豪華客船の中。
乗船しているのは、クルージングを楽しむ
世界の富豪たち。

そこには先のモデルのカップルも乗船しており、
なんとなれば彼女のインフルエンサーとしての影響力を期待しての
試乗との役どころ。

しかし、乗り込んでいるセレブの面々は、
装いこそ煌びやかであるものの何処かいかがわしい。

武器の製造で財を成した者、或いは
「オリガルヒ」とも思えるロシア人。

またクルーたちも、乗客達からの多額のチップが目当てで
多少の我儘には目を瞑る所存。

資本主義の原理原則とは言え、
親の資産や真っ当でない金の出所に辟易をしてしまう。


そして最後のパートは無人島(?)。

豪華客船は海賊に襲われ沈没。
乗客と乗員の数人が流れ着く。

そこでは、社会的地位や金は何の役にも立たず、
サバイバル技術だけが全て。

実権を握ったのは、
清掃人チーフの中年女性との何とも皮肉な流れ。


社会的な通念はとことんコケにされ、
立場の逆転は環境次第で容易く起きてしまうとの寓意。

それがブラックな味付けで描かれ、
時として嫌悪感さえも覚える。

一方で若さや美への憧憬があるのは
何とも皮肉。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


大揺れする船中での食事をした結果
吐瀉物まみれになるシークエンスは
長々と執拗。

富裕層を貶める描写は他にもあったのでは、と
かなり眉を顰める場面ではある。

直近の〔バビロン〕もそうだったが、
金持ちを描く際に、似た表現になってしまうのは何故に?

ワース 命の値段@チネチッタ川崎 2023年2月25日(土)

封切り三日目。

席数244の【CINE7】の入りは六割ほど。

 

 

我が国於いても、「命の値段」の算定は日々行われており、
裁判であれば、損害賠償金として示されるし、
保険でもそれは同様。

もっとも金額は法律で規定されているわけではなく、
年齢や年収等を勘案し都度算定され、
保険会社等であれば、独自の算出式は当然持っているのだろう。


とは言え、短い期間で、七千人もの犠牲者とその遺族に
補償金を分配するのは極めて稀ではないか、
ましてやそれが「9.11」によりもたらされたなら、
猶更の困難が伴うのは容易に想定でき。

もっとも、この基金が創設された経緯は相当に胡散臭い。
訴訟に持ち込まれれば長年に渡って経済活動が停滞し、
その影響は広大になると危惧する
国家と企業の妥協と打算の産物。

期限を短く区切る理由もまさにそこにあり、
誰も遺族のことなど考えてはおらず、
要は体の良い外向きのパフォーマンス。


一方、その大事業を、
あろうことか無償で引き受けた『ケネス・ファインバーグ(マイケル・キートン)』には
彼なりの矜持が。

企業を相手に裁判を起こしても、何時結審するかも不確実な上に
必ず勝てる保証は無し。

で、あれば、この制度を利用した方がよりメリットがあるだろうとの
一種の親切心。

「命の値段」を算出する式を創り、各人の状況を当て嵌め、
ビシビシと提示する。その利点を大いに強調しながら。

にもかかわらず、目標とする八割の合意には遠く及ばず、
殆どの対象者から喰らう総スカン。

その背景には何が有るのか、と
果たして主人公は目標を達成できるのか、の
二つが見所のわけだが・・・・。


一般的に算定される「命の値段」には(先に挙げたように)軽重があり、
とは言え
テロに巻き込まれて亡くなった親族からすれば
納得できぬのは心情的にも理解。

勇敢に闘った消防士だから、
証券会社に勤め年収が高いのだから、等の
思惑はある上に、他者へのやっかみも当然存在。

あまつさえ、八つ当たりする人間も出て来る始末で
『ケネス』も彼のスタッフも次第に追い詰められる。


しかし答えは、ある意味、判り易い所に。
要は、人と人との繋がりは、どこから始まるのか、との
原理原則。

提示される数式と金額ではなく、
言葉による対話と、
相手の立場に立ったカスタマイズが
事態を解決に導いて行く。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


私欲は無いとは言え、
学者肌でビジネスライクな『ケネス』が
次第に変化する経緯は感動的。

そのカギとして用いられる、
犠牲者の家族の心情の吐露は
当然のように涙を誘い、
これで心を動かされない人間は
果たして居るのだろうかとの思いを強く持つ。

 

潮田登久子 写真展@横浜市民ギャラリーあざみ野 2023年2月24日(金)

”永遠のレッスン”との副題。

標題館、前回の訪問は
六年前のほぼ同じ日付で『新井卓』を観に。

無料なコトに加え、展示スペースの【展示室1F】が広く
その全面を使っているので、兎に角、量が多いのも嬉しい。


今回のウリである〔冷蔵庫/ICE BOX〕のシリーズも
壁面を使い、大小さまざまなサイズにプリントされた作品が並ぶ。

大きいプリントの幾枚かは、
ほぼ原寸大と思われ、その迫力たるや・・・・。


扉を開ける前と開けた後がペアで並び、
前者は冷蔵庫が置かれている環境もよくわかる。

不思議なのは、周囲の状況と
冷蔵庫の中があまりシンクロしていないことで、
周辺はすっきりしているのに中は雑然だったり、
両方ともごちゃっとしているケースが多いものの、
周りはゴミ屋敷の様なのに、中はほぼ空っぽのケースも。

冷蔵庫の形式も様々も、
小さいものだと
扉を全開にすると
開いた方に傾いでしまうのね、
これは驚きだった。
最初はてっきり、床が斜めになっているのかと思った。

冷蔵庫の外側にも、色々と貼り付いているモノもあり、
一つ家電に過ぎないのに、
使っている人達が其処から透けて見える、あまりにも人間臭い器具で、
それに目を付けたのは
けだし慧眼と感心する。


それ以外に
〔本の景色/BIBLIOTHECA〕
〔マイハズバンド〕
〔街へ〕
のシリーズや、撮影機材も展示され、
会期は~2月26日(日)まで。


 

少女は卒業しない@チネチッタ川崎 2023年2月23日(木)

本日初日。

席数129の【CINE2】の入りは七割ほど。

自分としてはたぶん二度目の体験だったのだが、
機器トラブルにより上映開始が数分遅れるトラブルあり。

時間になっても館内の灯かりが消えず、
却って明るくなるので訝っている時に
係員さんからの説明。

この後に予定を詰めている人には、
困った事態だったろう。

 

 

卒業式の前日から始まり当日に終わる、
ごく短い期間の物語りは
邦画ではあまり描かれることのなかった題材との記憶。

海外には「プロム」との圧倒的なイベントがあり、
その分、扱い易いのだろう。
劇中でもふれられる〔キャリー (1976年)〕や、
結構好みの〔ウォールフラワー (2012年)〕。

とは言え本作を観れば、
どうしてなかなかドラマチックな展開を創れるものだな、との感慨。


実は自分は、高校の卒業式には出ていない。

大学受験のため上京し、
一ヶ月間、親戚の家にやっかいになっており
出席が叶わなかった。

今でこそ結果はWebでも確認できるし、
共通試験の結果を以っての受験も可能も、
往時はそんな便利なシステムにはなっておらず。

叔父叔母にそこまで迷惑を掛けるわけにも行かず、
大学生のアルバイトによる「合格電報」はあったものの、
信頼性には欠け、やはり自分の目で合否は確かめたいとの強い思い。
まぁ結果、全滅し、浪人となったのだが。

卒業証書とアルバムは重い気持ちを鼓舞しながら個人で高校に取りに行き、
担任からは「捲土重来」との有り難いお言葉を頂戴するオマケ付きで(笑)。

とは言え、その当時は、結構な人数が出席していなかった、とも漏れ聞く。


が、今回観たような、
わくわく
どきどき
もやもや
むふむふ
うるうる
のドラマが繰り広げられると知っていれば、
多少の無理をしてでも帰ったのにと、後悔しきり。
今となっては取り戻すことなどできはしないものの。


三年間、ほぼほぼ友達もできず
図書室で時間を過ごした『作田(中井友望)』。

自分は演奏はしないものの、
卒コンを仕切らねばならぬ『神田(小宮山莉渚)』。

式での答辞を読むことになった『山城(河合優実)』。

東京の大学への進学が決まったため、
地元に残る彼氏の『寺田』との仲が気まずくなってしまった『後藤(小野莉奈)』。

何れも男子の陰がチラつきながら、
四者四様の悲喜こもごもは、
実は三年間の集大成がぎゅっと濃縮された時間と言え。

自分達の学び舎が、今年を最後に取り壊され、
新しい校舎に移るとの設定も
エピソードを膨らませるスパイスとして上々に機能している。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


技量的にはいまだしも、
後ろ髪を引かれつつ旅立とうとする少女たちを
四人の女優さんが瑞々しく好演。

葛藤と闘いながら、一段の成長を遂げる姿は
観ていて清々しい。

引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース本郷 2023年2月19日(日)

”ACT (Artists Contemporary TOKAS) Vol. 5”とのサブタイトル。

 

出展作家は『海老原靖、鮫島ゆい、須藤美沙』の三名。


『海老原靖』の作品は
直近のウクライナ情勢に想を得たものと思われ。

〔ひまわり(1970年)〕の一場面、有名な向日葵畑と
ソフィア・ローレン』の顔のアップを描いているのだが、
あまり似てないぞ!『ソフィア・ローレン』(笑)。


紙にピンで小さな穴を開け、その上に天体を生み出す
『須藤美沙』の手法は、掛かる労力を思うと
宇宙的な悠久さを感じてしまう。

本展ではフレアを噴き出す太陽、
巨大な輪が印象的な土星が展示され、
どちらも、ただ丸いだけの惑星よりも
手間が掛かるよね、と
思ったり。


会期は~3月26日 (日)まで。


戦前の新宿@新宿歴史博物館 2023年2月19日(日)

サブタイトルにあるように
「1834(天保5年)~1940(昭和15年)」までの新宿の歴史を
浮世絵と写真、古地図で振り返る。

 

浮世絵は『広重(初代/二代)』が数点。


古地図は量は多いもののつぶさに見て行かないと
全体像が掴めないのが難点。

勿論、中には「淀橋浄水場」のような、
一目で判別できる構造物はあるものの。

とは言え、「東新宿」なる色気も素っ気も無い地名が
以前は「角筈」であったこと、
或いは「西新宿」も同様「淀橋」「十二社」であったことなどは
しっかりと読み取れる。


やはり判り易いのは数々の写真。

伊勢丹」「高野」「紀伊国屋」と
今も残る店の数々。

「武蔵野館」「松竹」を始めとする
劇場、などなど。

「専売局の工場」が在ったことや
「市ヶ谷の刑務所」などは
こうした記録を見ないと
存在したことすらピンと来ないだろう。


会期は~4月9日(日)まで。

前後期で展示替えがあるよう。

ボーンズ アンド オール@109シネマズ川崎 2023年2月18日(土)

封切り二日目。

席数118の【シアター3】の入りは五割ほど。

ティモシー・シャラメ』目当ての女性客が多いかと思いきや、
半数以上が男性との構成はやや意外。

 

 

今回の「同族」は一風変わった特徴を持つ。
ただ大括りでは「カンニバリズム」に分類して良いか。

ここでの「人喰」は〔東京喰種トーキョーグール〕の「喰種」のように
人を食べねば自身が生きて行けぬわけではない。

普段の食事は常人と変わらず、ただ時として
人を喰べる欲求に突き動かされ
夢遊のように行為に至る。
それは性衝動にも似ているのだろうか。

なので、そのサイクルにも決まったパターンは無い様子。
数年喰べずにいても平気なのに、突然に短いスパンでの多喰を繰り返したり、と。


また遺伝の要素を色濃く描いているのも象徴的。
父から息子へ、母から娘へと伝わるとも。

しかし、その親子間でも喰欲の対象とはなり
一般的な愛情が必ずしも欲求への阻害になるとは限らぬよう。
中には「同族」は喰べぬとの、誓い?を立てる例も有るようだが。

とは言え、妻或いは夫を手に掛けることはないらしく、
これは親子の情よりも夫婦のそれが勝るとの示唆だろうか。


次第に明らかになる
そうした複雑な設定を背景に、展開されるのは
あまりにも悲しい濃密な愛のかたち。
世間には受け入れられぬ少数者が身を寄せ合う。

一つ所に長々と居ることはできず、
仲間のコトは匂いで探知はできるものの、
積極的にはかかわろうとはしない。

家族の中でも自分だけが異端のケースもアリで
距離感を保つことすら困難。

望んでこのように生まれた訳ではないのに、
切な過ぎる身上が涙を誘う。


そんななか、一組の若い男女が米国内を旅する{ロード・ムービー}。

唯一変わっているのは、金品と移動の為の足の入手、
そして一番大事な喰う欲望を満たすための手段が
人間の捕食である点だけ。

その大枠さえ外してしまえば、
よくある{メロドラマ}とさほどの違いはなし。

とは言え最後の最後まで、その設定が存分に発揮されているのだが。


旅の目的が達成された結果はあまりに衝撃的。
しかしここまでは実は序章にしか過ぎず。

終章に向け、更に心をかき乱す流れが待ち受けている。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


高橋留美子』の〔人魚〕シリーズや
ぼくのエリ 200歳の少女(2008年)〕でも描かれた
先が見えない、虚無感に縁どられた未来。

とりわけ後者とは、最終的な愛のカタチも近似しており。