RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男@チネチッタ川崎 2021年12月18日(土)

封切り二日目。

席数244の【CINE6】の入りは三割ほど。

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例によって実録もの。

主演の『マーク・ラファロ』は製作にも名を連ね、
元々環境問題に関心の有った彼が
ニューヨーク・タイムズ」の記事を読み映画化を熱望、
自ら『トッド・ヘインズ』に監督を依頼しただけあって
ほとばしる思いがたぎる作品に仕上がっている。


加えて、幾つかの点で特徴的な一本。


物語は時系列に沿って展開する。

ただでさえややこしい米国の司法制度で混乱しがちな頭を、
余分な流れの整理に回さなくて良いのは助かる。

もっとも終盤には、
冒頭の1975年の無軌道な若者が繰り広げる何気ない場面を筆頭に
伏線とも思えぬ箇所も全て関連付けられ綺麗に紐づく。

無駄なパートが一つも無く、
蜘蛛の糸の様に綿密に張り巡らされた語り口。


エンドロールの直前には
実在の登場人物達が自身の役、またはカメオ出演していたことが明かされ、
中には相当に驚く配役も含まれており。


2005年に和解が成立したばかりのほやほやの案件。

しかし、和解と解決が別モノなのは
他の公害事件を見ても明らかで
被害者の苦しみは金では解決できず、その後も続く。

主要なターゲットである「デュポン」社を
かなりの悪役に描いているのにも目をみはる。

テフロンの製造過程で使用する
発癌の可能性が高い化学物質を
それと知りながら放出させ、汚染を引き起こした事実は間違いがないようだが。


改めて数奇な運命と思う。

自身は企業法務専門の弁護士事務所のパートナーであっても、
出身の大学が有名どころでないため、
同僚や後輩からは偏見の目で見られる。

そんな彼が高卒の農場主の訴えに真剣に取り組み、
守る側から攻める側に転身、
大企業の不正を暴き国内はおろか世界中に波及するムーブを起こす。

観客はその蛮勇とも思える志に、
無条件の喝采を贈る。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


キリスト教圏でのオハナシだけあって、
随所に祈りのシーンが挿入。

中には教会での場面がありも、
訴えを起こした人々に対してのバッシングは
そのような席でも容赦ない。

信仰の如何にかかわらず、
都合の悪い者や理解できない者を弾こうとする斥力は
洋の東西を問わず共通らしい。

 

 

「椿絵」コレクション名品選@UNPEL GALLERY 2021年12月11日(土)

ここ暫くは若手のグループ展が多かったけど、
今回は久方ぶりに収蔵作品展。

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しかも「逆境をのり越える」との副題が付いている。

どうやらコロナ禍も意図すると共に、
今回の画家たちが何れも病気や戦争等を乗り越えていること、
加えて主題の「椿」自体が極寒に中に花を咲かせる強い生命力の樹であることの
三重の意味示しているよう。

展示の中には『夏目漱石』などの意表を突く人物の作品もあったりして、
題材以外でもセレクションの妙で楽しませてくれる。


会期は~12月24日(金)まで。


シェル美術賞展2021@国立新美術館 2021年12月12日(日)

今年は無事に招待券を入手できたので(笑)、
意気揚々と会場に向かう。

ちなみに、一般の入場料は400円。

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例年同様、他の有料展の半券でも入場可の為、
館内の入りはまずまず。


場内には入選者の作品がずらりと並ぶ。

更に最奥のスペースには
”シェル美術賞 アーティスト・セレクション(SAS)2021”として四名の作品が置かれているのだが
ここで注目するのは『高松明日香』。

一つの画面内に複数の異なるストーリーが描かれており、
たまたまかもしれぬが、
入選作の中にもそのような仕掛けの作品が多い印象。


グランプリは『福原優太』の〔無題〕も、
個人的に気になったのは
『城戸悠巳子』の〔ドの#〕
『伊東啓二朗』の〔スリープ〕
『山室淳平』の〔山水図〕。

とりわけ『城戸』の作品は
本城直季』の写真の様にジオラマ風に見える街の風景から
色とりどりの揺らぎが立ち上がる。

地面を低く、空を高く取り
不思議な光景が柔らかく繰り広げられる。

勿論、オーディエンス投票は
彼女にね。


会期は~12月20日(月)まで。


 

中島伽耶子展@資生堂ギャラリー 2021年12月11日(土)

”第15回 shiseido art egg”の第三弾は『中島伽耶子』。

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彼女の作品は二年半ほど前に
「(当時の)トーキョーアーツアンドスペース」で観た記憶。

今回同様、アクリル板を使った展示も、
その時は漆黒尾の空間に流れるかそけき光を
随分と美しいと感じた。


翻って本展ではギャラリーのスペースの真ん中に
一枚の壁を構築。

中央に扉はあるものの、ドアノブに触れることも
反対側へ移動することも能わず。

壁からは(やはり)アクリル板がにょきにょきと針鼠のように生え
近寄ることさえ拒絶しているよう。

階段の踊り場からは、反対側のスペースも観ることが可能。

実際は、来場の中途で見えてしまっているわけだが、
このような仕掛けになっているとは夢にも思わぬため
かなり意表を突かれる。


会期は~12月19日(日)まで。


日本大学芸術学部写真学科 教員作品展@Sony Imaging Gallery 2021年12月11日(土)

「SKY IV」との副題が付されているが、
出展者は『重松駿/秋元貴美子/穴吹有希』の三名。

とすると、「Ⅳ」の意味するところは
本展の回数ということか。

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『穴吹有希』の作品は、何時か何処かで観た記憶。
暗い中ではじける線香花火の火花を写した写真が幾枚も。

刹那の記憶を焼き付け、短い時間の燃焼でぽとりと落ちるそれは、
夏の風物詩を外しても美しい。


『重松駿』の作品は「注連縄」の縁起から書き起こし、
それを人間の腕で表現。

二人の手が絡み合う様は、艶めかしくもあり、
神々しくもあり。


会期は~12月16日(木)まで。


日比遊一写真展「foto arigato」@ヒルサイドテラス 2021年12月12日(日)

場所は【F棟1階】なのだが、【エキシビションルーム】だけを使用し
こぢんまりと。

会期も12月11日(土)~14日(火)の四日間と短く、
自分が訪問時に他の来場者の姿は無く。

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案内も小さめだから、気づかぬ人がほとんどかもしれぬ。


日比遊一』は写真家にして映画監督。
彼の作品は『浅田美代子』主演による〔エリカ38(2019年)〕を観ている。

その興味があっての訪問。
勿論、写真を観るのは初めて。


激しい「アレ・ブレ・ボケ」は『森山大道』の専売特許かと思っていたけれど、
彼の作品も負けず劣らず、いや露光が凄い分その上を行っているかも。

モノによっては何が写っているのかすら判然とせず。

日常のスナップがあるかと思えば、事件の匂いを感じさせるもの、
或いは芝居掛かったものと、その範囲は広い。

共通して感じるのは強い精神性だが、
鑑賞者の側もかなりのタフさを要求されている気がする。

ラストナイト・イン・ソーホー@TOHOシネマズ日本橋 2021年12月11日(土)

封切り二日目。

席数143の【SCREEN9】の入りは五割ほど。

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エドガー・ライト』の新作は
過去の{ホラー}や{スリラー}の名作への
オマージュとコラージュに満ち溢れる。

目立つところでも
〔サイコ(1960年)〕〔キャリー(1976年)〕〔ポルターガイスト(1982年)〕と
てんこ盛りだが、そこに
ウディ・アレン』の〔ミッドナイト・イン・パリ(2011年)〕の仕掛けを盛り込むことで
物語に膨らみと、現代的な諧謔を盛り込んだ極めて異色作。


ファッションデザイナーを夢見る『エロイーズ(トーマシン・マッケンジー)』は、
所謂「見える人」。

祖母によればその能力は「ギフト」であり、力の強弱はあるものの、
一族の女性に代々発現するものらしい。

もっとも、彼女の母親は、その力に押しつぶされ、
自死をしてしまったのだが。


ロンドンのデザイン学校に入学した『エロイーズ』はしかし、
寄宿舎での生活になじめず、
一人暮らしを始めた屋根裏部屋で奇妙な夢を見るように。

自身も憧れる1960年代にタイムスリップし、
そこで歌手志望の『サンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)』と一体化、
彼女が経験することを、さも自身が味わうように追体験する。


最初の内は良かったのだ。

『サンディ』は恋人兼マネージャーの『ジャック』の口利きで
オーディションにも合格し前途洋々。

昔の風俗からインスパイアを受けた『エロイーズ』のデザインは
学校で教師から賞賛される。

しかし、次第に『サンディ』の置かれた立場は怪しいものとなり、
ある日、決定的な悪夢を見てしまう。


そこからは奈落に落ちるように変転。

夢と現実の境目が曖昧になり、傍からは狂気に囚われたと思われ
心身共に衰弱する。

観客の我々から見ても、憑かれたかのように空転する彼女の行いは
常軌を逸し、加えて痛ましい。

しかし、最後に選んだ選択が、物語を意外な方向に導いて行く。


兎に角、脚本が良く練られている。

何気なく聞き流した科白が、
実は重要な伏線になっていたことを後々思い知ることが多々。

同じ1960年代の音楽でも、使い方によっては薔薇色にも
反対にも聞こえてしまう使い方もこなれている。

映像面でも、階段や鏡を使って二人の女性が瞬時に入れ替わる等
技巧を凝らしている。

前半の希望に満ちたテイストから
後半部の都会の恐ろしさを味わうパートへの
じわじわとした転調も見事だ。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


綺麗なコトの裏には必ず闇があるとの世の必然。

主人公が夢見た時代も、実は多くの、
それも女性の犠牲の上に成り立った華やかさであることが
改めて提示される。

それは勿論、「ベル・エポック」と称された
1900年前後の時代でも同様であったろう。