RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

愛しのアイリーン@TOHOシネマズシャンテ 2018年9月16日(日)

封切り三日目。

席数224の【SCREEN1】は満員の盛況。

しかし、日頃映画館に来ない客がそこそこいることが、
(特に)彼女等の反応や上映中の私語の多さからもうかがい知れる。


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母親にとって男の子供の存在は
かなり特別な意味合いを持つものらしい。

それはもう目に入れても痛くないほどの。

しかしそれが行き過ぎてしまうと
ローマ皇帝『ネロ』とその母親『アグリッピナ』のように
歪んだ関係になってしまうわけだが。


四十男の『岩男(安田顕)』は女性とどうやったらやれるかしか頭になく、
しかしその風采の上がらぬ外見と奥手な性格が禍し、いまだに縁遠いまま。

一方、母親『ツル(木野花)』は苦労して生んだ息子を溺愛し
なんとかいい嫁を迎えたいと願い行動しているものの
そこに自身の勝手な希望が相当の割合で入り込んでいる。

その思惑の違いが後々大きな悲劇に繋がって行く。


何の前触れもなく忽然と姿を消した『岩男』が再び姿を現した時に
フィリピン人の新妻『アイリーン(ナッツ・シトイ)』を帯同していたことから
息子と嫁、対する姑の壮絶なバトルが勃発する。

我が子の幸せだけが念頭にあるのなら、そのような諍いは起きぬはずなのに、
そこは山奥の寒村、世間体やら外国人への偏見やら差別やらがないまぜになり
『アイリーン』に対して冷酷な態度で向き合ってしまう。


ここ数十年で日本が向き合って来た、そしてまたこれからも繰り返されて行くであろう、
生涯未婚率の高さやと後継ぎの問題、嫁不足や外国人の花嫁の問題が
ぐるぐると渦を巻きながら終焉へと突き進んでいく。

そこに先に挙げた親子や家族の情愛、
或いは東南アジアでの日本の搾取の構造などが絡み
140分の長尺は怒涛の展開を見せる。


が、その中でもユーモアーが適度にまぶされるため館内は都度都度哄笑が起き、
男女や親子の、ひいては家族の愛情迄ハナシが広がるに及んで
鑑賞者には切ないほどの想いが込み上げて来る。

普段の役柄とは打って変わった鬼母を演じた『木野花』が一番に素晴らしい。

偏執的に息子を思う姿とフィリピン人花嫁への敵愾心に凝り固まった恐ろしい形相、
全てを寛解する慈母への変容と、物語の進行に連れての
演技の変遷の出来と言ったら・・・・。

最初は考えもしなかった、自己の固定概念が
全ての終わりの始まりであることに
気付き変容していく顔つきの表現は特筆もの。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


あまりに多くの物語要素を盛り込んでいるため
散漫に感じる向きもあるだろうけど、この一本を完結させるためには
どれかが無いと画竜点睛を欠くと思われる。

特にやりたい一心に凝り固まっているとばかり思っていた『岩男』と
故郷に残して来た家族のために身を売る決心をした『アイリーン』が
次第に心を通わせていく過程と、互いの思いの真実に気付かされるシーンの為には
全てのエピソードがパズルのピースの様に必要なのだ。