RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

妖-AYAKASHI@Bunkamura Gallery 2021年6月27日(日)

夏の風物詩とも言えようか。

しかし、背筋をぞっとさせるような怖さや
薄気味悪さを纏った作品は皆無。

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計十六名の作品を並べた展示即売会。

中には『平林貴宏』『山本タカト』『岡本東子』の
好きな作家さんの名前も。

基本、展示即売会なので
幾つかには赤丸シールも付されている。


今回のの面白い趣向は
一番奥のスペースに『国芳』『芳年』『貞秀』『国周』の
浮世絵が並んでいること。

歌舞伎の場面を主題にしたものも多く、
ただ何れも、付された値段はかなりの桁。

普段、美術館や展覧会で観る諸々は
こんな価格で取引されていたんだねぇ。


会期は~7月6日(火)まで。


日本画第二研究室 素描展@東京藝術大学美術館 陳列館 2021年6月27日(日)

恒例の”素描展”。

先週の展覧会とは異なり、事前予約は不要も、
会場内は三三五五の来場者。

検温をし手指を消毒し入場する。

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計十八名の作品が並び、
毎度のことながら、そのデッサン力の高さには驚嘆。

まぁ素人に褒められても嬉しくは無かろうし、
我々が写メを撮るように、気になったものを写し取る習い性になっているのだろう。

日常を瞬く間に、紙の上に落とし込む技術は
日々の精進が背景にあることは違いなくとも
羨ましくはある。


その中でも『古山結』の一連の作品は、
他とは趣向が違っている。

水彩でささっと描かれた記号の様にも見えるが、
付されたタイトルも併せると
独特のリズム感と外郭が浮かび上がって来る。

そのまま一つのシリーズとして観ても良いような。


会期は~7月5日(月)まで。


都美セレクション グループ展 2021@東京都美術館 2021年6月27日(日)

【ギャラリーA・B・C】を使い、
しかも無料で観覧できる恒例のグループ展。

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中でも【ギャラリーA】の”体感A4展”が
一番足を停めて観る作品が多かった。

小さなゼンマイを組み合わせ、壺の様に造形する
『西島雄志』。

コピー機の上にスケルトンで造られた
第二次大戦時の兵器の模型を乗せ
下からの光で影絵を見せる『大野公士』。

紙に印刷された文字を、レンズで太陽光を焦点させることで
焼き付けて行く『大山里奈』。

全体的に、人を喰ったような創作物が並び、
この場の雰囲気も好きだなぁ。


会期は~6月30日(水)まで。


Arc アーク@チネチッタ川崎  2021年6月26日(土)

封切り二日目。

席数244の【CINE6】の入りは一割ほど。

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『山田鐘人/アベツカサ』による〔葬送のフリーレン〕では
悠久に近い時を生きる「エルフ」の魔法使いが主人公。

彼女の前では人間の一生など、目の前を通り過ぎる落ち葉にしか過ぎない。

しかし、そういった特性は
感じ方や他者への接し方にどのような影響を及ぼすのか。

神の視座には近いものの
けして不死ではない、不確かな存在。

感情移入や生殖への欲求は極めて薄くなり、
では生きることの目的を何に求めるか?

類似の設定は『山下和美』の〔ランド〕にも見られ
アンチエイジングのみならず百年を生きることが可能になった現代に於いて
繰り返し表現されるテーマなのかもしれない。


本編の原作は『ケン・リュウ』による〔円弧(アーク)〕で
短編小説と聞く。

それを130分近い尺に引き延ばしているためだろう、
全体的にかなりの冗長さを感じる。

加えて社会的な設定や技術は仔細に描写されるのに
主人公の心の揺らぎがどうにも捉え難い不思議な構成にも戸惑う。


冒頭、十七歳の『リナ(芳根京子)』が
生んだばかりの我が子を病院に置き去りにし
姿を消す。

そこには何の未練も躊躇いも見られず
感情が消失したような印象さえ受ける。

その後、師となる『エマ(寺島しのぶ)』や
彼女の弟の『天音(岡田将生)』と関わりながら
不老の技術を受け入れる選択をするのだが
主人公の心情がもやっとし、どうにも掴みどころがない。

「プラスティネーション」と名付けられた
遺体を生前の姿のまま保存する技術や、
依頼する人々の想いは微細に描かれるのに、
それに対する『リナ』の心情が今一つ明快には語られず。


それは不老の体を得た後でも同様。

一方ではそうとはならぬ選択をする人々も存在し
彼ら彼女らの思考は、先と同様、
ドキュメンタリー風に多く表現されるも、
主人公がそれにどのように感化されるのかがどうにも判り辛い。

モノクロに変わった画面が
何らかの示唆をしているともとれるが
その受け取り方はあくまでも観客の側に委ねられている。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


やはり直近の〔JUNK HEAD〕でも
同様の世界観は提示される。

パンデミックには極端に弱くなってしまった社会構造は
果たしてユートピアなのか。

小難しい暗喩を多用しなくても
直截的に見せてくれる表現の方が
個人的にはより好ましいのだが。

 

夏への扉-キミのいる未来へ-@109シネマズ川崎 2021年6月26日(土)


封切り二日目。

席数118の【シアター3】の入りは六割ほど。

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原作は1956年に発表されたSFの古典にして名著。

日本での海外SF小説のランキングでは
必ずと言っていいほど上位に位置付けられる。

何故に今まで映画化されてなかったんだろうと不思議に思うが、
かなりジュブナイル的なテイストがそれを妨げていたのかもしれない。

SFの設定を纏いながらも、ミステリー的な要素も色濃く打ち出し、
しかし根底にあるのはラブロマンス。

演じ手も勿論だが、公開される時代、受け入れる観客の側の雰囲気と、
三位が一体となって初めて成立する作品。

その意味ではイマイマの時勢もあり、
かなり好意的に評価をしてしまう。


過去に戻って未来を変える、
ある時点に同一人物が複数存在する、との
以降も度々取り上げられることになるタイムパラドクスの右代表を
仕掛けとしてしれっと取り込み
物語りの鍵として展開する。

そしてここでのキモは
並行世界など存在せず、時間はループするとの概念。
話中ではさらっとふれられるのみも、かなり重要な要素。

巷間言われている様に、
プロットも含めて、なるほど
幾つかのエピソードは〔BTTF〕がいただいているなと思う。

もっともそれは、本作の作り手側がそのことを認識した上で、
意図的に似せたシーンとして挿入した結果
余計にそう思わせるのかもしれない。


ニートラップに引っ掛かり、
絶望の果ての選択がコールドスリープとはやや安直も、
意外とこれが、後々の複数の仕掛けに効いて来る絶妙の小道具。

主演の二人の良さは当然のこととして
主人公を助ける存在のアンドロイド『PETE/ピート(藤木直人)』がはまり役。

硬質な表情と所作の中に真面目なのか冗談なのかが分からない科白を発しながら
文字通り八面六臂の活躍を見せる。

ただ、ヒューマノイドロボットが汎用化されているとの設定では
行き交う、或いは応対する多く登場者がそれであり、
ちょっとの場面でも、いかにもな科白の発し方や動きが求められ
隅々にまで肌理細やかな配慮が必要だったろうと
制作サイドの姿勢にも感心する。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


『山﨑賢人』も珍しく同年代を演じ、
研究一本でやや世間ずれした青年役は板に付いている。


が、やはり目を惹くのは撮影時にリアルJKだった
『清原果耶』の出来。

幼馴染ではあるものの十も歳が離れた『宗一郎』へ寄せる想いは
見ていて切なくなるほど、
透明感があり幼さが残る表現が極めて秀逸。

 

居場所はどこにある?@東京藝術大学美術館 陳列館 2021年6月20日(日)

会期は本日が最終日。
事前予約が必要も、
会場内はなかなかの混雑ぶり。

受付でPeatixのチケットを提示、
検温~手指消毒ののち、入場が叶う。

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『荒木夏実』のキュレーションのもと、
十人(組)の作品が並び、面白い仕掛けに気付く。


一階に在る『岡田裕子』の〔翳りゆく部屋〕は映像作品。
所謂、ゴミ屋敷と呼ばれる老婆が住む家へ
市の職員が訪れたことによるすったもんだが描かれるが、
勿論、全てはギミック。

たぶん、ご本人が老婆を演じているのだろうが、
迫真の演技がなかなか笑わせてくれる。


二階の同じ場所には、対するように
『室井悠輔』の〔王国をつくりなさい〕。

「王国をつくりなさい」との夢のお告げに従い、
傍目にはゴミにしか見えない文物を箱に入れ標本化し
幾つも繋げて作品にしている。
さながら個人の履歴がくみ取れるように。


同じゴミでも扱いの差で、生み出される結果も異なることに
思わずにんまりとする。

まぁ、偶然の一致かもしれないけどね。

  

クワイエット・プレイス 破られた沈黙@TOHOシネマズ上野  2021年6月20日(日)

封切り三日目。

席数112の【SCREEN5】は一席空けての案内なので実質56席。
それが八割ほどの入りになっている。

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正式なタイトルは〔A Quiet Place: Part II〕。
全体的な流れを見た時に、
邦題よりも、こちらほ方がよほどしっくり来るのは毎度のこと。

加えて〔Part Ⅲ〕すら製作しちゃうんじゃない?!との勢いだから。

ストーリーの構成的には「起承転結」の「承」に当たる部分と認識。
ここでダレてしまう凡百の作品は多い中、
きりっと締まった緊張感のある展開をラストシーンまで持続させる見事な力業。


前作で、宇宙からの飛来者の弱点を見い出し、
眼前の危機を見事に打ち砕いた家族の後日譚。

嘗て住んでいた家の上層は火に包まれ、下層は水浸しとなり、
とても暮らせる状態ではなく、また
自身等が得た知見を広めることで、
再び地球を人類の手に取り戻すことができると考えた一家は、
今いる場所を捨て、共に闘う隣人を求め、外界への一歩を踏み出す。


しかし、音を立てれば、捕食者が素早く襲来する状況は変わらず。
ましてや生まれたての乳飲み子を抱え、
耳が不自由な二人の子供との逃避行は並大抵のことではない。

最初は、何のために持ち出したの?と
用途も判らなかった酸素ボンベも、
複数の使途が提示される等、
小物の使い方の巧さに代表される脚本の冴えは今回も健在。

まぁ、主要な登場人物は生き残るだろうとは信じつつ、
〔Part Ⅰ〕の前半部では
それをあっさりひっくり返す設定を入れ込んだ制作サイドのこと、
今回も油断はならぬと注視する。


旅の中途で出会う人々は、善意であるのかそれとも
腹に一物あるのかは判然とせず、
それでも明日への希望の為に敢えて虎の尾を踏む母子には
当然のように危機が襲い掛かり、
ハラハラさせる描写が間断なく繰り返される。

しかし、前作での主役であった母親を脇に置き、
本作では二人の子供が目覚ましい活躍を
それも重層的に見せるものだから、
こちらの動悸も二倍に急上昇。

九十分の短尺ながら、その密度の濃さは
生半可には非ず。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


そしてここで、「Ⅱ」に仮託した複数の意味も考える。

二人の子供が、二つの場所で見せる勇気と才気。

邦題にはない暗喩を、勝手に感じ取ってしまうわけだが。