RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

ジョージ ホイニンゲン=ヒューン写真展@CHANEL NEXUS HALL 2024年3月17日(日)

 

『ジョージ ホイニンゲン=ヒューン』は1900年ロシア生まれの写真家で
1968年まで生き、主にファッション誌で活躍したと聞く。

本展ではモノクロームの写真が六十五点ほど並ぶが、
中には『ココ・シャネル』を写した作品が多数。
関係性のほどがうかがい知れる。


斬新な構図や撮影場所も評価れされているようだが、
同時代人のポートレートがとりわけ興味深い。

若い頃の『ダリ』『チャップリン』『ゲイリー・クーパー』『ジャン・コクトー』。
女性であれば『キャサリン・ヘップバーン』『マレーネ・ディートリッヒ』。
とりわけ、煙草を持つ『ディートリッヒ』の、ある種アクの強い顔は印象的。

同時代人と言えば、『ジョセフィン・ベーカー』を写した作品も。
彼女のフィルムにおさめられた姿は複数回見ているものの、
ポートレートは初めてで、新鮮ささえ感じる。

変わりダネとしては
『ダリ』の{シュールレアリスム}の一枚、
〔l'instant sublime〕をそのままコラジューした作品か。
これは、幅の広さも感じられ。


会期は~3月31日(日)まで。


デューン 砂の惑星 PART2@チネチッタ川崎 2024年3月16日(土)

封切り二日目。

席数244の【CINE6】の入りは七割ほど。

 

 

前作を復習鑑賞せずに劇場に向かったので、
ストーリーがジブンの頭の中できちんとつながるだろうか?との
一抹の不安。

が、結果的にそれは全くの杞憂。
人物の背景や過去の出来事も
エピソードに付随し、ちゃんと想起され立ち上がる。

それだけ、監督の『ドゥニ・ヴィルヌーヴ』の造り込みが巧みなのだろう。
科白やシーンで、さりげなく匂わせる手練の技。


一作目で砂漠に逃れた『ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)』と『ポール(ティモシー・シャラメ)』母子は
砂漠の民に迎え入れられ、
片や「教母」として、片や「救世主」として崇められる存在となって行く。

とりわけ『ポール』は複数のイニシエーションを経ることで
伝説に描かれた導く者としての地位を確立。

本作ではそこに至る過程を三時間近い尺を使い、
時として策謀の数々と大規模な戦闘シーンも交えながら壮大に描く。


皇帝『シャッダム4世(クリストファー・ウォーケン)』と
その娘『イルーラン(フローレンス・ピュー)』の思惑。

「アトレイデ公爵家」を直接的に滅ぼした「ハルコンネン家」の野望。

一方、砂漠の民の中でも『ポール』に懐疑的な勢力もあり、
三様の視点が糸の如くに絡まり合いながら団円へと向かう。


とは言えエンディングに向け、不穏な空気も漂い出す。

父を殺害されたことへの復讐、搾取されて来た砂漠の民の安寧が一義二義も
その安堵のために権力奪取に向かう描写がちらほら。

原作は未読なのでしかとは判らぬが
〔オール・ザ・キングスメン(1949年)〕のようにはならぬのだよね?との
想いも湧き出す。

その前段として本サーガが、やはり血縁に起因する物語りであり、
一つの一族の興亡なのが示唆されるエピソードが挟み込まれるからなのだが。

信じて付いて来る砂漠の民との折り合いを
どうつけて行くのだろうか、と。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


印象的な戦闘シーンは、モブの部分も含め
スター・ウォーズシリーズ〕の「ライトセーバー」によるスマートな剣戟に比べ、
より短い剣によるかなり野趣に満ちたもの。

血しぶきが飛ぶシーンも多く、本国では「PG13」の指定もされているよう。

 

 

奇想民俗博物館「まつりと」@キヤノンギャラリーS/銀座 2024年3月2日(土)

既に終了した展覧会。
【S】での会期は~3月4日(月)、
【銀座】での会期は~3月2日(土)。

共に「キヤノンギャラリー50周年企画展」。

 



「奇想」と書かれてはいても
それは傍から見た感想であって、
当事者にとってみれば
順繰り順繰り回って来る当たり前に在る行事に違いない。

自分の田舎でも、
(ここでは取り上げられてはいないが)面白いお祭りや風習はあった。


が、こうした風習も、
人口の減少や過疎化で担い手が無くなり、
大半は早晩消えて行く運命にあるのだろうなとも思う。

自分が幼い頃、楽しみにしていた「道祖神」は、
子供が集まって夜更かしをしても良い日。

今では行われているのだろうか。


日本国中、あまねく存在する
そうした祭りや習いを新鮮な目で見つつ、
記録としても残る貴重な機会なのに違いない。

ゴールド・ボーイ@109シネマズ川崎 2024年3月9日(土)

封切り二日目。

席数118の【シアター3】の入りは六割ほど。

 

 

全国47都道府県の中で
沖縄県の離婚率は断トツで一位との統計。

であれば、本作での主要な三組の登場人物すべての背景に
離婚(と、再婚)が横たわっていても納得がいこうというもの。


原作は『紫金陳(ズー・ジェンチン』による小説〔坏小孩(悪童たち)〕。
本国ではドラマ化され大人気をはくしたと聞く。

それを監督の『金子修介』、脚本の『港岳彦』が
沖縄を舞台に移植したのだが、これが大成功。

先に挙げた納得感のある理由と共に、
米軍基地が密集する中で血縁と利権に絡め取られる人々の閉塞感も
併せて描かれる。


金子修介』について言えば、
デビュー作の〔宇能鴻一郎の濡れて打つ(1984年)〕は傑作。
が、それ以降は本数を撮るも目立った作品は
1999年の夏休み(1988年)〕
〔ばかもの(2010年)〕
くらいか。

アイドルや少女漫画との相性はすこぶる良いものの、
弾けきれずにいた感。

それが本作では理詰めの{クライムサスペンス}を
130分の尺を使い濃密に語っている。

とは言え、十四歳の『星乃あんな』の使い方は相変わらず上手く、
これだけは多くの作品に一貫して評価できる点。

加えて、本作での『松井玲奈』の目の演技も特筆できる点。


義理の両親を崖の上から突き落とし
財産を手に入れようと画策した『東昇(岡田将生)』を
たまたま犯行現場を目撃した三人の少年少女が脅迫。

そこから二転三転の心理合戦の始まりで、
緻密に寝られた構成は最後まで破綻することなく疾走。
騙し騙されの先読みがくるくると展開され緊張感も持続する。


中途、知恵をめぐらせ合う主要な二人の人物の性格的な異様さも露わになり、
観ている側は怖気をふるう。

とりわけ連続殺人の動機が
金なのか人間関係なのかがその二人の対比の妙。

が、金だけでは人は着いて来ず、最後まで孤独。
片や熱愛的に味方をする人物が現れ成否を分ける。

もっとも、最後の最期で痛いしっぺ返しを喰らうのも、
その愛情故というのはなんとも皮肉が利いている。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


『星乃あんな』の出来の良さに比して
羽村仁成』は〔リボルバー・リリー〕の頃から
さほどの成長は見えず。

邦画界における少年を演じる俳優の払底を思い知らされる。

ヨシロットン@ギンザ・グラフィック・ギャラリー 2024年3月2日(土)

 

「拡張するグラフィック」とのタイトル。
英文では”YOSHIROTTEN Radial Graphics Bio”と書かれている。

『ヨシロットン』はデザインスタジオを主宰する
マルチメディア・アーチストとされている。

【一階】は薄暗い空間。
壁一面にイメージが小さなパネルのように表示されている。
夫々が刻々と変化する様子は見飽きることはない。

【地階】には多くのモニターが並び
作家の(おそらく)過去のワークの数々が次々に映し出される。
これにも同様の感慨を持つ。


会期~3月23日(土)まで。


サロン展@渋谷区立松濤美術館 2024年3月1日(金)

「土地の記憶と記録 風景を巡る旅」と題が付されている。

 

並んでいるのは同館所蔵の絵画と写真も
写真類の方が圧倒的に多く、
やはり近隣の風景を写したものが印象に残る。

キャプションに付けられた年代を頼りに観て行けば、
大きく変わった処も変わってはいないところも。

石田喜一郎』の代々木駅のホームでの清掃作業を撮った1925年の一枚は
今でも駅に面影が残っている。
タイトルは〔清掃〕。

『掛札功』の〔御茶ノ水〕は1921年頃の作品。
川かお濠を流す船或いは筏がこの頃にはあったのだねぇ。


『中田幾久治』の〔渋谷川〕は1965年頃の水彩画。
今なら「渋谷ストリーム」の辺りか。
そこに架けられている橋は木造にしか見えず。
六十年前は、まだそのような時代だったのだな、との感慨も。

各セクションには
「知っている(かもしれなi)風景」
「近代化する風景」
「実在しない風景」
等のタイトルが冠され
正しくそれだ、上手く形容したものだと感心しながら歩を進める。


会期は~3月16日(土)まで。

https://shoto-museum.jp/exhibitions/2024salon/3

コットンテール@チネチッタ川崎 2024年3月3日(日)

封切り三日目。

席数154の【CINE9】の入りは四割ほど。

 

 

若年性認知症の妻『明子(木村多江)』を亡くした『兼三郎(リリー・フランキー)』は
その法要の席で菩提寺の住職から『明子』の遺言を渡される。

そこには、幼い頃に両親とひと夏を過ごした
イギリスの湖水地方の湖に自身の遺骨を撒いて欲しいと書かれていた。

故人の願いを叶えるべく
『兼三郎』は息子の『慧(錦戸亮)』とその妻の『さつき(高梨臨)』
孫の『エミ』と共にイギリスに旅立つ。


ここからが{ロードムービー}のお約束、
幾つかの試練が主人公を待ち受ける。

仕事の忙しさにかまけ、
父親と息子の関係はそもそも良好なものではなかった。

それに追い打ちを掛けるように
『明子』の介護の仕方でも対立。

病魔に侵された妻の姿を子供に見せまいとする『兼三郎』。
もっと自分を頼って欲しいと思う『慧』。
抱え込みの問題がここでも起き、二人は更に疎遠に。

自分くらいの年齢になれば
身につまされるエピソードの連続に
観ていても気分は暗くなるばかり。


旅中でも親子の関係はぎくしゃくし、
『兼三郎』は独り湖を目指すが
案の定、道に迷ってしまう。

我々が経験するような目的地にたどり着くことができない悪夢は、
しかし物語りでは、彼を助ける父娘が現れ、
その家で過ごすうちに
主人公の頑な心は次第に解される。

もっとも彼は更に大きな秘密を抱えており
それを吐露することが親子の寛解に繋がりはするのだが。


過去と現在を往復しながら、
ストーリーは静かに綴られる。

作家を目指すも挫折し、
望まぬ英語教師で糊口をしのぐ『兼三郎』の複雑な心境と共に
彼を信じ続けた妻の遺志に何としても報いたいとの思い。

その一方で、目的の為なら小さい盗みを平然と犯す
ややエキセントリックな性格付けは
人間の二面性を見せ付ける。

時として現れる他者への尊大な態度と併せ、
果たして彼にシンパシーを感じて良いものやら
良くないものやら、と。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


散骨をする場所の特定に使われる一枚の写真には
幼い『明子』とその両親が仲良さそうに寄り添っている。

とは言えそれは表層的であり、
仕事で多忙な父親は、加えて厳しい人間だったことが『明子』の口を通じて語られる。
それだけ、その夏の思い出が素晴らしかった証左なのだろう。


父親は『光石研』、母親は『真矢ミキ』なのは
エンドロールで確認できること。

誰とも判然としない茫とした一葉の為に
随分と贅沢なキャスティングをするものと感心してしまう。