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好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

ある少年の告白@チネチッタ川崎 2019年4月23日(火)

封切り五日目。

席数191の【CINE10】の入りは四割ほど。


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あまりに恐ろしくて怖気をふるってしまう。

このような矯正施設が国や州の追認の元に存在し
時として死者をも出してしまう事実に。

加えてそれが遠い昔のハナシではなく
今でも厳然と存在している事に。


そこでは専門の修養を積んでもいない人間が
宗教への帰依だけを背景にリーダーシップを担っているという。

メソッド事体も訝しい上に
宗教に対する態度も
真性からのものか見せかけなのかは甚だ疑問。


彼等にとっての神は、我々が思う以上に身近な存在でありつつ、
宗教的な行事は徐々に形骸化している印象。

一方で、聖書を体に打ち付けることで
悪しき思いが追い出されるなどの思い込みは
傍目からは狂信としか見えぬ。


もっとも、アメリカだからこのような顕在化をするのであって
これが日本なら、もっと小規模にまたは地下に潜り、
怪しげな宗教やセミナーに収斂してしまうのだろう。

実際、そういった会の被害が過去から幾度となく
紙誌を賑わしてしまっている。


本作での主要なテーマの一つはLGBT、そしてもう一つは
互いを理解し合うことの重要性。

聖書にはどうやら
「男色する者」は神の国を相続しない、と
書かれているらしいが、それはつまり
有史以前から同性愛はあって蔓延していたことの証しだろう。
広がり過ぎれば国が存続しなくなる危機感の現れではなかったか。

後者については
「始めに言葉ありき」と書かれているように、
先ずは対話をし、互いを深く知ることから全てが始まるのではないかと
やや曲解だけどね。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


宗教が逃げ道として存在し、そこに頼ることで
自身の責任から遁れた気持ちになってしまうことこそが
問題の根源なのだろう。