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好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

多十郎殉愛記@チネチッタ川崎 2019年4月13日(土)

封切り二日目。

席数290の【CINE4】の入りは一割ほどと
かなり寂しい。

この手の作品には鉄板の
高齢男性の姿が少ないのにも少々驚く。


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冒頭、『伊藤大輔』監督への献辞が出される。
そこからこの一本は、正統な時代劇を目指したものであることが判る。

九十分の短尺。うち1/3が殺陣のシーンに充てられるとは
事前の煽り。

なのでおそらくはドラマの部分は薄目に処理、
最後に持てる力を一気に注ぎ込んだ造りになっていると予想したのだが、
半分は正解・半分ははぐらかされた気分。


時は幕末、所は京都。長州藩の浪士『清川多十郎(高良健吾)』の
脱藩動機は実に不純なもの。

憂国とか尊攘とかではなく、単純に家代々の借財から逃れるため。
なので都へと来はしたものの、絵師まがいの生業で糊口を凌ぐ有様。


しかしそんなノンポリの『多十郎』が
「見廻組」と「新撰組」のプライド争いに巻き込まれ
命を狙われる羽目になる。

上洛した弟の『数馬』と、
自分に想いを寄せる一膳飯屋の女将『おとよ(多部未華子)』の二人を
降り掛かる火の粉から守る為、多勢を一身に引き付ける。

さあ筋立ては綺麗に整った。いよいよだな、と
観る側は勢い込むのだが、しかし・・・・。


事が起きる度毎に大仰なBGMが挿入され、『黒沢』の時代劇を観ているよう。

そして問題のラスト三十分は、その時間といいシチュエーションといい
〔雄呂血〕を見据えていると思われ。

が本作での立ち回りは、剣を交えるシーンはほぼほぼ無く
『多十郎』は走りに走り続ける。

これが正直、肩透かしを喰らったよう感じさせられる源泉。


もっとも先に挙げた目的を達するためにはこれがベストな方法。

更に、ありがちなチャンバラこそが現実を反映してはおらず、
実際の立ち合いではなかなかに手を出せないことは直近の史書にもある通り。

が、一方で、たかが素浪人一人の捕縛の為に
町中を封鎖したり夜通しの検問を敷いたり大量の人員を投下したりと
相当にリアルさを欠いている。

このアンバランスさがどうにも居心地が悪いし
剣戟映画として見た時にかなりの不満をかこつ元にもなっている。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


主人公の造形や屈折した心理が理解できるエピソードがもっとあれば
人間ドラマを楽しむ側面も出て来たかと。

その場面も淡白、ウリの場面も薄目では
観客は一体どこにカタルシスを求めれば良いのか。

束の間、一時の「ATG」映画化と見えてしまった。