RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

人魚の眠る家@TOHOシネマズ日本橋 2018年11月24日(土)

封切り八日目。

席数119の【SCREEN4】は満員の盛況。


今日の朝刊には十五段の広告で
「この愛の結末に、涙が止まらない-。」
「性別、年代を越え、全世代が大号泣!!」
等の煽りが並ぶ。

またこれかよ、と
うんざりしつつも、制作委員会方式の宿命か・・・・、
初日の反応を見つつの最も効果的な告知内容がこの判断なのだね。

確かに、終盤に近付くに連れ、館内が嗚咽で満たされていたのは事実。


イメージ 1



何を以って人の死を認識するのか?

心臓が止まっているのが判った時か、
それとも体が冷たくなっているのを感じた時か。

旧来からのこの二つを勘案した時に
脳死」と言うのは極めて今っぽい概念だ。

心臓は動いているし、体も温かく
あたかも深い眠りについているかのように傍からは見える。

古来にも、こういった状態は多くあったのだろう。
しかし栄養を摂取できないのだから、暫くすれば衰弱死する。

が、現代では幾つもの方法でそれを補うことができる。
その技術が究極まで行った時に何が起きるか。


フランケンシュタイン』は死者を甦らせようとした。
ただ彼はあくまでもマッドサイエンティスト

では本作で「BMI」を研究する技術者『星野祐也(坂口健太郎)』は
突き詰めて行くとそうはならないと果たして言えるのか?

そしてもう一つ、随意運動や表情・感情を表すことはないにしろ
脳死状態ながら成長を続ける娘を見守る親は
彼女が生きていると(自分たちが)信じることを他人に強要できるのか。


本来であればほんのちょっとした釦の掛け違いにしか過ぎないそれらが
極大化して描写されるため、かなり感情移入できない。

要は自己の想いを他人に判って貰うことが
それほど重要なのか、と。

それに共感できる人は先に挙げた如く落涙するのだろうし、
そうでなければ、一筋の涙さえ流れないだろう。

まぁ自分は後者に属しつつ、
どんなカタチであれ側にいて欲しい気持ちは十分に理解できはする。

ただ、個人の勝手な考えに収斂しておけば良いだけなのに
変に公的機関を物語りに巻き込むことで違和感が生じ
妙に腹落ちしない一本になってしまった。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。


ちなみに人魚姫は陸に上がった時に声を失い
歩く度に足に激痛が走ったそうだが、
電気的な刺激で体を動かされていた娘は
果たして幸せだったのか。

そして両親はそれを慮ったり葛藤したことがあったのだろうか。