RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

友罪@TOHOシネマズ日本橋 2018年5月27日(日)

封切り三日目。

席数226の【SCREEN5】の入りは八割ほど。


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人は犯した罪や過ちをどうしたら贖えるのか。
ハンムラビ法典」じゃあないけれど、
死には死を以って償うしかないのか。

古くからある命題を、本作は改めて
観る者の鼻先に突きつける。


大きな罪を犯した二人と、
過ちを犯した二人が登場する。

前者は国家による制裁は終了しても、
その遺族にとっては何ら留飲が下がるわけではない。

失われた命は二度と戻らない。


ここで頗るおかしなことが出来する。

自分の罪に真摯に向き合う咎人ほど
深く懊悩する事実。

自身が反社会的な行為をしていても
それを何ら気に掛けない人間はこの世に多数存在する。

本編でも、それは対極的に描かれているように。

実際にそういった類の人々が
世間に蔓延っているのも今の世間ではないか。


考えて見ればいじめの問題も同様だろう。

受けた側は忘れないけど、した側は記憶の片隅にさえたぶん残っていない。

どちらかと言えば、対象となる側だった自分は良くわかる。

昔の仕打ちを、改めの謝罪する人が居るなんて聞いたこともないし。


その意味で、この作品は
救済があまりにも無いことで、観ていて
どうにも胃がきりきりと痛んで来る。

鑑賞する側に相当の忍従を強いる。


しかしその悩みの先には、僅かに救いが見えることも指し示される。

それは暗闇に微かに見える光明のよう。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


「あの 少年A だった。」との惹句にふれると、正直
「どの 少年A よ」と思わぬでもない。

これだけの年月を生きていると、匿名性を帯びさせる表現として見聞きした回数も多く
かなり手垢が付いていると感じる。

中森明菜』の〔少女A〕のようなニュアンスか。


しかしここでの「少年A」はあくまでも特定の個人を指す。

ネットで検索しても、その人物についての記述が上位に上がる。もっとも
彼自身がそのペンネームで著作をものしていることも背景にあるかも。

本来的には匿名性を表す言い回しが、
何時の間にか特定の個人を指すものに変容している。
そして事件から二十年を経た今でも
彼の素行には様々な疑惑の目が向けられる。

嘗て世間を騒がせたセンセーショナルさを背景に
人々の興味を掻き立てるのは単に好奇心のみか。