RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

沈黙-サイレンス-@109シネマズ川崎 2017年1月22日(日)

封切り二日目。

席数345の【シアター6】の入りは八割ほど。

「PG12」のシバリがあるせいか
客層は中高年が多目。

でも、目を背けるような残虐シーンが
そうある訳じゃあないんだが・・・・。


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二時間四十分の長尺。
そんなに長くちゃあインターミッション入れてくれないと
最近じゃあトイレが近くなったおぢさんは
最後まで観通せないかもとの心配は全くの杞憂。

ぐいぐいと画面に引き込まれてしまい、
あっと言う間の三時間弱。
実時間よりもかなり短く感じる。

そして我々の眼前には
教えを信じるって何なのさ?との重厚なテーマが
ど~んと突き付けられる。

それにしても『スコセッシ』、もう七十も半ばなのに
こんなチカラ強い作品を撮れるなんて
まだまだ枯れてないね。


日本に布教に赴いた、嘗て自分達の導師であった『フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)』が
彼の地で棄教してしまったとの噂の真偽を確かめる為、
二人の若い神父が密航する。

その内の『ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)』を主軸に物語は展開する。


時は『家光』の治世。
島原の乱」の後もキリシタン弾圧は続き、
「踏絵」で炙り出された信徒は拷問により棄教を迫られる。

信仰を捨てない者はそのまま殉教し
その一連の経緯が本作では繰り返し描かれる。


殉教者とは正反対に位置する者として
『キチジロー(窪塚洋介)』が配される。

彼は「踏絵」もあっさり踏むし、自分が助かる為であれば
仲間さえ簡単に売ってしまう。

しかし、『キチジロー』こそが人間らしさの体現ではないか。


自分だったらたぶん、さっと踏んじゃう。痛みには弱いもの。
生きていればこその信仰でしょ。

後で許しを乞えばいいんじゃない、
命あっての物種だし。

実際史実では、その様な「隠れキリシタン」が増えて行く訳だから。


などとイマイマの常識から考えながらも
やはり往時の人達にとっては、信仰こそが生きるコトのよすが
だったのだろう、そう単純に割りきれはしない。

その葛藤を、しかしどちらの側が正しいとか間違っているとか
殊更に肩入れすることはない。

何れも有り得ることとしての描写に終始する。

そして表面的にはいざ知らず、
信心は胸の奥にこそ在ることを
静かに指し示す。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


「沈黙」の意味するところは
『イエス』が磔刑に処せられる前から神は一切の言葉を
この映画の舞台の時代でも、そして今でも発しなくなったことによる。

なので「私は神の声を聴いた」と称する者が
多く現われる訳だけど。