封切り八日目。
席数129の【CINE2】の入りは八割ほどと盛況。
客層はやや高齢に振れており、
やはり前作を体験している人が多い印象。
やはり前作を体験している人が多い印象。

あの、〔の・ようなもの〕の後日譚。
35年後のいまいまを描く。
35年後のいまいまを描く。
前作は『森田』監督のメジャーデビュー作。
色々なものになり切れていない
「の・ようなもの」を描く秀作。
「の・ようなもの」を描く秀作。
わけても、『伊藤克信』の抜擢が一番の手柄。
その下手さ加減は、地なのか演技なのかも判然とせず、
年齢的にも等身大を演じ、中でも〔黄金餅〕を底本にした
「道中づけ」のシークエンスは圧巻。
この一席が、傑作に押し上げた、と言っても過言ではない。
その下手さ加減は、地なのか演技なのかも判然とせず、
年齢的にも等身大を演じ、中でも〔黄金餅〕を底本にした
「道中づけ」のシークエンスは圧巻。
この一席が、傑作に押し上げた、と言っても過言ではない。
その後も〔キャバレー日記〕を初めとし、
多くの「森田作品」に出演しているし。
多くの「森田作品」に出演しているし。
本歌の影を引きずっているのは勿論、
同監督の幾つかの作品からのコラージューかと思うくらい
過去の映画の記憶が充満している。
同監督の幾つかの作品からのコラージューかと思うくらい
過去の映画の記憶が充満している。
オマージュとしての意味合いだろうけど、
それが却って本作を、「なり切れていないもの」、
所謂「森田作品」の「ようなもの」に留まる出来にしてしまっている。
それが却って本作を、「なり切れていないもの」、
所謂「森田作品」の「ようなもの」に留まる出来にしてしまっている。
要は制作者サイドのマスターベーションに近い印象。
亡くなった監督の、
彼であればこう造ったであろう、
との想いに囚われすぎているんじゃないか。
彼であればこう造ったであろう、
との想いに囚われすぎているんじゃないか。
また、参る墓には「森田家」の銘が刻まれているけど、
楽屋落ちにもなりゃしない。
楽屋落ちにもなりゃしない。
代表的な例を挙げれば、『志ん魚』が語る場面。
此処での兄弟子たちの科白は
「こりゃ~・・・・」だけで十分。
「こりゃ~・・・・」だけで十分。
客層を考えれば、基本、前作での予習・復習はできているわけだから、
懇切丁寧に説明する必要は、全然ない。
懇切丁寧に説明する必要は、全然ない。
まったきを期しすぎて、余韻さえも残せない造りになってしまった。
評価は、☆五点満点で☆☆☆★。