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好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

黄金のアデーレ 名画の帰還@TOHOシネマズ錦糸町 2015年12月1日(火)

封切り五日目。

席数159の【SCREEN3】の入りは四割ほど。


それにしても、このタイトルも予告編も
何とかならんかったのかと思う。
結末をモロに指し示しているんだもの。

予告編は見ずに済ます手もあるけど、
タイトルだけは、そうはいかんだろう。

それとも、エンディングは判っていても
十分に楽しませることができると言う
自信の表れだろうか。


イメージ 1



一般の人は、この絵画が辿った数奇な運命など
知る由もないだろう。

実際、自分が持っている
ちょいと古い「Taschen」の図録では
所蔵は「オーストリア・ギャラリー」となっている。

映画の原題は〔Woman in Gold〕。
一瞬、画のタイトルかと勘違いするが
こちらの方は、〔アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I〕。

話中にこれについて言及するシーンもあるけれど、
タイトル自体は昔から変わっておらず、
けして名前が消されているわけではない。


〔Ⅰ〕があれば〔Ⅱ〕もある。
同じ人物を扱いながらも、後者の方は随分と地味な表現。

〔Ⅰ〕ほど金粉を多用したのは『クリムト』の中でも稀で
だからこその通称と思える。


おっと閑話休題


確かに結末が判っていても語り口は上々。

特に主人公である『マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)』の
複雑な性格の造形と、
それをカタチ造ることになった過去のエピソードの描写が秀逸。

これが鍵となり、見る側は過去の苦難に時期に
十分に想いを馳せることができる。


ストーリーも振幅が激しく、
まるでジェットコースターのよう。

持ち上げられ、落とされが最後まで繰り返し、
次はどうなるんだろう、との期待が大団円まで持続する。


そして印象的なのは、やはり結婚式での
集団でのダンスのシーンか。

ヴィスコンティ』でもそうだし
『チミノ』の作品でも同様。

以降の凋落や時代が変わること象徴する、
終りの始まりのシーン。

しかし捲土重来を期すことが
できるできないが当然あり、
本作は勿論後者。

忌まわしい体験や記憶はけすことはできなけれど、
てばなしではないにしろ、快哉を叫ぶほどの
ラストシーンではある。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


そして、もう一つ、権力の側にいる人間が
一般の市民に対して、いかに傲岸になれるかを
見せつける一本でもある。

それはナチスに寄り添った人々もそうであり、
オーストリアの右代表として裁判に臨んだ人達にも言えるコト。

でもなぁ、「エスティ・ローダー」の息子もかなり胡散臭そうに描かれていたり、
オーストラリアとの区別も付かない米国での裁判は
やや皮相な描写にも見え、これらは何れも
イギリスらしい表現の発露かもしれない。