RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

ナイトクローラー@チネチッタ川崎 2015年8月23日(日)

封切り二日目。

席数191の【CINE 10】は満員の盛況。


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「パパラッチ」なる言葉を生んだ
フェリーニ』の〔甘い生活〕は夜のシーンが印象的な一本だった。

翻って本作。やはり夜のシーンが尺の大半を占め、中でも
主役を演じた『ジェイク・ジレンホール』の目力が素晴らしい。

それが無ければ、本編が成立しなかったのでは
と思わせる存在感。

闇の中で、白目がちの大きな眼がぎらぎらと光る。
事件を渉猟する時には勿論のこと。
あるものはその妖力に、た易く協力者にされ、
あるものは、あっさりと捨て駒にされる。


嘗て日本の私小説の作家がそうであった。
自身を素材とする描写は次第にエスカレーションし、
そして行き詰まり、とどのつまりは自死にまで行き着いてしまう。

センセーショナリズムも次第にエスカレーションし、
大衆の「もっともっと」との声に押され
より扇情的な表現に走ってしまう。

本作では、取材する側も、伝える側も、受け取る側も
抜け出せないドグマに嵌ってしまっている。


ではあるけれど、これはアメリカらしい病理かもしれない。

林立する放送局と視聴率競争、少しでも多くのスポンサーを獲得し
自局の、ひいては自身の栄達のため、多少の非合法はものともしない。

多民族国家であるが故の、民族間の対立、貧富の偏在。

本編の主人公のように、能力も知力もあるのに、
一度沈んでしまうと、二度と浮かび上がるコトのできない格差社会

こういった病理を声高に語るのではなく、
幾つもの事象のメタファーとして、皮相な筆致で描き上げて行く。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


しかし、これは、
世渡り上手な人間の出世譚ではけしてない。

ましてや、主人公が社会的に不適応な人間であるとの
表現でもけしてない。

SNSを使い、自分の生活を細大漏らさず満天下に晒すのは
何の為か?

どちらも、自己表現を最大化することで
自分のコトをより多くの人間の知って貰いたい
顕示欲の極大化に違いはないんじゃないか。