封切り二週目。
席数121の【シアター5】の入りは満員の盛況。
小~中校生らしい集団をぱらぱらと見かけるのは
日曜日だからだろうか。
日曜日だからだろうか。
こういった層に受ける映画なのかしら。
確かに主人公達はその世代だけど。
確かに主人公達はその世代だけど。
冒頭、今の校長『上野素子(余貴美子)』と
長じた『藤野涼子(尾野真千子)』が話すシーンにかぶせて、
「(裁判では)思いもよらなかった事実が明らかになるのです」との
ナレーションが流れる。
が、正直、この結末がそうなんですかぁ、と
相当の拍子抜け。
長じた『藤野涼子(尾野真千子)』が話すシーンにかぶせて、
「(裁判では)思いもよらなかった事実が明らかになるのです」との
ナレーションが流れる。
が、正直、この結末がそうなんですかぁ、と
相当の拍子抜け。
〔前篇〕を観ている最中から違和感を持った一つのコト。
それは、亡くなった生徒が相手に面と向かって発した
「偽善者」という単語。
そ~ゆ~お前はどうなんだ。ヒトのことを非難した
自分はキチンと行動したのかと。
それは、亡くなった生徒が相手に面と向かって発した
「偽善者」という単語。
そ~ゆ~お前はどうなんだ。ヒトのことを非難した
自分はキチンと行動したのかと。
ところが〔後篇〕では、この一連の科白が便利に使われ
至る所で頻出、物語の鍵とすらもなり、
何人かの生徒の運命さえ左右する。
至る所で頻出、物語の鍵とすらもなり、
何人かの生徒の運命さえ左右する。
狂気に近いような想いを持った一人の子供に、
周囲が振り回されてしまう。
周囲が振り回されてしまう。
そして、もう一つ、妙に子供っぽい、論理の思い込み。
Aという状態があり、その後Bという状態になった。
BになったのはAのせいだ、との
直截的な理屈なんだが、
その間にA’が起きなかったと、
どうして断言できるのか。
Aという状態があり、その後Bという状態になった。
BになったのはAのせいだ、との
直截的な理屈なんだが、
その間にA’が起きなかったと、
どうして断言できるのか。
そこに思い至らないまま短絡的に行動を起こしてしまう。
本編では、そこいら辺を、奇妙な論理のすり替えと映像で、
まことしやかに流してしまっている
(最終的にはその通りだったんだからいいじゃないか、
というのはあくまでも後付けの詭弁)。
本編では、そこいら辺を、奇妙な論理のすり替えと映像で、
まことしやかに流してしまっている
(最終的にはその通りだったんだからいいじゃないか、
というのはあくまでも後付けの詭弁)。
何れもがかなりの瑕疵に思えるが、
実際に原作を読んだ人に、この疑問をぶつけると、
前者に対しては同意、
後者については、
そんなことを感じないほどのきっちりとした構成だった
とのコトで、どうやらこれは
140分の尺を使いながらも
人間ドラマの描写を厚くするがために、
ややおざなりな映像表現になったしまった
制作サイドの罪だろう。
実際に原作を読んだ人に、この疑問をぶつけると、
前者に対しては同意、
後者については、
そんなことを感じないほどのきっちりとした構成だった
とのコトで、どうやらこれは
140分の尺を使いながらも
人間ドラマの描写を厚くするがために、
ややおざなりな映像表現になったしまった
制作サイドの罪だろう。
評価は☆五点満点で☆☆☆。