RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

悼む人@109シネマズ木場 2015年2月19日(木)

封切り六日目。

席数235の【シアター1】の入りは二割程度。

客層は高齢者が多く男女比は半々。


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ある映画の科白にあるように
「人はかいぐりかいぐり生まれ、かいぐりかいぐり死んでいく」。
なのにここでは、「死」が濃厚な密度で描かれる。


「悼む人」は不遜である。
日本では一年間に120万人内外が死んでいる。
しかし、それだけの数を一人で「悼む」わけには到底いかない。

なので、新聞や雑誌の記事から事件性の高いものを
取捨選択し「悼む」。あくまでもどれを選ぶかは自分の判断である。


「悼む人」は短絡的である。
活字から得られた情報と、たまたま死者を知っている人から得られた情報を総合し、
その現場で弔辞の、いや祝詞の様に唱え「悼む」。

しかし、それは故人の一側面でしかなく、
実際はどうだったかは判らない。
あくまでも自身が解釈した人となりを勝手に胸に刻んで置く。


「悼む人」は弧絶している。
なので、最早人々が普段の生活を取り戻している領域にずかずかと入り込み
周囲の都合も考えずに勝手に「悼む」。
そのことで平穏な生活がかき乱されるかもしれないのに
全くお構いなし。だって自分が「悼み」たいんだから。


たまさか劇中でも、彼のそういった行為に相反する人々の描写がある。
が、多くは、
「悼む」ことにより故人の記憶が違う想起をされた良かった良かったと、
「悼む」行為を邪魔するなんて、なんて心が狭いんだろうと、
取ってしまうだろう。実は「悼む人」の行いこそが身勝手かもしれないのに・・・・。
何とも言えない、いやらしい作為を感じてしまう。


そうして見た時に、本作の登場人物は皆が皆相当に利己的だ。
それは歪んだ愛のカタチを見せる『奈儀倖世(石田ゆり子)』や
傍若に振舞う『蒔野抗太郎(椎名桔平)』とて同様。

DVが母から娘に連鎖したり、父親に捨てられたりと思い込む姿は
ステレオタイプなエピソードで、
よくもこれだけ、感情移入し難い造形を揃えたと、
違う意味で感心してしまう。


で、その違和感は終盤に近づくに連れ強くなる。
生きているモノよりも、死んでしまったモノの方が大切なのかと。


評価は☆五点満点で☆☆☆。


にもかかわらずこの評点を付けるのは
偏に『石田ゆり子』の濡れ場があるからに拠っており、
御歳四十五歳の裸身は、本人のものかパーツによってはスタンドインかは
定かではないが、かなりのエロさが充満している。

なまじ苦労を重ねて疲れた顔のメイクなので
余計にそう感じてしまう。

本作唯一の収穫であるとともに、「R15+」も成る程と
思わせる場面なのだ。