封切り二日目。
席数89の【シアター8】の入りは二割ほど。
『つげ義春』の短編〔雨の中の慾情〕と、
それ以外の幾つもの作品を取り込んで一本の映画に仕立てている。
基本『義男(成田凌)』と『福子(中村映里子)』の物語りも、
そこに友人で作家志望の『伊守(森田剛)』と
松葉杖をつく大家の『尾弥次(竹中直人)』が絡む。
『義男』は夢から覚めると、
見た記憶を基に売れない漫画を描く。
『尾弥次』はそんな彼にトラック運転のアルバイトをさせ、
『福子』と出会ったのも、行った先の家でのこと。
『伊守』は『福子』と懇ろになるが、
商売に失敗し、彼女を捨て街を出て行ってしまう。
彼らが住むのは、検問所で南北に分断された国。
「南」は富む一方、「北」は貧民が住む。
『尾弥次』はそこで子供を集めて脅かし、脳髄を吸い取る怪しげな商売をしているが、
その関係で「南」とも行き来でき、
三人は『伊守』を探すため、「南」の地を訪れる。
と、ここまでは、寓話的ではあるものの一貫性のある流れ。
が、以降は語り口が激変する。
今と未来と過去、夢と現を垣根無く往還し、
何が現実で何が妄想なのかも判然としない。
原作を複数取り込んだことが要因ではなく、
入れ子構造を意図的に狙ったよう。
ある時には『義男』は『福子』と子供を持ち、
幸せな家庭を築いている。
が、庭で遊んでいるハズの子供を探して振り返れば、
そこに片腕を失くした軍人の姿を見る。
次の瞬間『義男』は、片腕・片足を失くし、
股間をも傷つけられた傷病兵として
病院のベットに横たわる。
舞台はどうやら、第二次大戦中の
中国東北部の戦場に転移したよう。
そこでは『伊守』は『義男』を気遣う戦友。
『福子』は慰安所で働いている。
こうした時空の激しい変転を受け入れられるかが、
本作の評価のキモだろう。
頭で理解しようとすれば追いつかず、
あくまでも監督の仕掛けた激流に身をまかせるのが吉のよう。
評価は、☆五点満点で☆☆☆★。
目覚めてのち描かれる漫画は複数あり、
冒頭エピソードの文法からすれば、
直前の挿話は全て夢の中の出来事となる。
いや、本当にそうだろうか?
『義男』の語る物語りとして観て来たものの、
最後の場面を観た後では、それすらも懐疑的になる。
監督の『片山慎三』のフィルモグラフィーを確認すれば、
助監督時代の作品を含め過半を観ている計算。
しかし本作、過去作のいずれとも異なる作風で
「R15+」のレイティングを纏い、
『大林宣彦』があの世から舞い戻って来たのかと思った。