RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

箱男 BOXMAN@TOHOシネマズシャンテ 2024年8月24日(土)

封切り二日目。

席数224の【SCREEN1】は満員の盛況。

 

 

いくつかの印象的なフレーズが言葉と文字で繰り返される。
一つは「箱男を意識するものは箱男になる」。
もう一つは「ひとつの町に箱男は一人しか要らない」。

箱男」の存在は自明であるようだ。

それを裏付けるように、劇中では何人もの「箱男」が登場し、
うち主要な三人の男は、一人の座を巡って肉弾戦を繰り広げる。

傍から見ていれば、はっきり馬鹿々々しくもある闘い。


そうまで執心して唯一の「箱男」になった男は何をするのか。

有態に言えば覗きであり、ここでも
「俺は一方的にお前たちを覗く」とマニフェストし、
観察し記録に残すことに邁進する。

やはり脱力の度合いが激しく、もう笑うしかない。


例えば『江戸川乱歩』の〔屋根裏の散歩者〕や〔鏡地獄〕のように
覗き見ることが犯罪に繋がったり、
自身から特殊な閉鎖空間に入ることで狂気に陥ったりと、
劇的な展開は本作では起こらない。

いや、ある種の狂乱になっているとも言えるか、
殺人らしきことも起きている、と。

が、何れもが模糊としている。


一方で、同じ原作者の『安部公房』による〔砂の女〕で描かれた、
匿名性や不在、または帰属についての問題意識は共通と感じる。
場と女性に囚われてしまうのも同様に。


書くという行為は象徴的に繰り返され、
しかし記録は複数の「箱男」より書き加えられ改竄され、
最後には誰によって紡がれた物語りなのかもあやふやに。

記憶や主客(ここでは本物と贋物)の境界も曖昧となり、
観ている側は、本当に起きたことなのかの確信さえも揺らいでしまう。

言葉での表現より、映像化の力だろう。


評価は、☆五点満点で☆☆☆★。


箱を被っていれば本物で、被っていなければ贋物なのか?

箱男を意識するものは箱男になる」とのフレーズを象徴するラストシーンで、
見る・見られるという自他の関係を我々は再び意識させられる。

箱男」が被る段ボールに開いた覗き穴は、
何故あの形をしていたのか。

第四の壁を打ち破る仕掛けも、
監督が観客の感性を信用していないことの現れともとれる
最後の科白は不要に思える。