封切り二日目。
席数154の【CINE9】の入りは八割ほど。
〔生きる〕は1952年公開の
モノクロ・スタンダード
143分の尺。
この『黒澤明』の名作を映画館で観た人は
今時点で日本にどれくらい居るのだろう。
かく言う自分も
名画座の特集の時に一度きり
観ているだけなのだが。
しかし、その時の印象は強烈。
静謐な筆致の中に、生きることへの激しい情念と、
官僚主義への見事なまでの皮肉が
併存しながら描かれていることに深く感銘した。
ただその一方で、故人が成し遂げたことは
公共の福祉に資しはするものの、
自己満足的な
最後っ屁に近いものをちらりと感じた側面もあり。
翻って本作は、102分尺と40分以上短く、
アスペクト比は1:1に近いかも。
カラー作品ながら、セピアを感じさせる色調は
七十年前にタイムスリップしたかのような不思議な感覚。
また、日本の配給元である「東宝」のオープニングタイトルが
しっかりと出るのは嬉しい。
幾つかの置き換えをしながら
ストーリーは原典とほぼほぼ同内容の進行。
とりわけ、たらい回しや多忙なフリをして実質何もしないこと、
人の手柄を臆面も無く横取りする等のお役所仕事の閉塞的な態度は
洋の東西が違っても、何も変わらぬのだなと
ヘンに納得してしまう。
反社勢力の横槍のエピソードが無いことは
尺への影響か。
主人公『ウィリアムズ』の朴念仁的な性格と、
実は職場にも家庭にも居場所のない境遇は
十二分に伝わって来ることは変わらず。
しかし本作で脚本の『カズオ・イシグロ』は
原本には無かった要素を付け加える。
それは主人公の遺志を強く受け継ぐ者の存在。
彼はまだ若輩で、組織内での発言力は弱いものの、
長じれば必ずや組織に変革を起こしてくれるだろうとの
希望の仮託。
あれだけ固く誓ったにもかかわらず、
時が経てば従来と変わらぬ日常に戻ってしまう同僚と比して、
善行を一代限りとしてならぬ
メッセージを感じさせる終幕。
これで自分が感じていた違和感は
かなり和らぐ。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
主演の『ビル・ナイ』のイメージは『笠智衆』だとは、
監督の『オリヴァー・ハーマナス』の語るところ。
確かに、肉々しさのある『志村喬』とは違った
枯淡の印象が本作にはある。
「ゾンビ」との表現は
言い得て妙だ。