封切り二日目。
席数127の【シアター2】の入りは七割ほど。
巷間語られている、
自助・共助・公助の順序が
さも当然のように。
しかし、元々我慢強いのに、
お上に頼ることを善しとしない国民性から、
介護する側、される側が共倒れになるケースも多いと聞く。
また、生活保護についても、
受給までのハードルは高く、
本当に必要な世帯に届いていない可能性も
常々指摘されるところ。
本作は、そうした社会の歪みから生まれる悲劇を
極大化し描写。
とは言え、こうした痛ましい事件は、
単発では新聞やテレビのニュースでも
折々に目にすること。
『斯波(松山ケンイチ)』は
訪問先の家族からも職場の所員からも評判の良い介護士。
対応は真摯、思いやりの態度も自然で、
そのたたずまいはさながら聖職者のよう。
ただ、年齢の割にはかなりの白髪で、
「随分と苦労したのでは」とは同僚の噂話。
そんな彼が殺人事件の、
それも四十人以上の老人を殺害した容疑者として取り調べを受ける。
対峙するのは長野地検の検事『大友(長澤まさみ)』。
ここで驚くのは、本人があっさりと容疑を認めてしまうこと。
勿論、嫌疑を掛けるまでの検察側の丁寧な捜査はあるものの
(上司は一過性の単純な事件として急ぎ処理するよう、
いかにも免罪を生むような指示をしていたのだが・・・・)、
その過程は一本道。謎解きの要素は弱め。
ではどこに尺が割かれているかと言えば、
『斯波』が(「救った」と表現する)殺人を犯すようになった経緯と
『大友』自身が抱える家族の問題。
彼はシリアルキラーでは全くなく、
冒頭「聖書」の一節が提示される如く、
あくまでも介護される老人と
その家族を慮ってのことと言い切る。
前者は尊厳を、後者は慰撫を意識してのものだと。
実際に要介護の親族が居ると
相応の時間を費やさねばならぬことは間違いなし。
また、外からの助けを当人が拒否するケースもあり
家族は次第に疲弊していく。
そうしたことへの救済であるのだと。
裁判に当たっての被害者家族の反応も複数通り。
「(殺された)父親を返せ!」と声高に叫ぶ者、
一方で肩の荷が下りたの如く
自身の幸せに改めて向き合える者、
どちらも真の姿ではあるのだろう。
とは言え、根底に在るのは
親族への愛情と、肉体的疲労から来る戸惑いとの
血の繋がりが生む、抜き差しならない
アンビバレンツな感情なのには違いない。
もう一つのテーマ、
家族の関係性が浮かび上がって来る。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
ストーリーの主線はあくまでも
『斯波』の物語も、
並行して『大友』の事情も語られ。
幼い頃に両親が離婚した彼女は
女親の手一つで育てられ、
しかしその母親は娘に迷惑を掛けまいと
独り逍遥と老人ホームに入所。
が、次第に痴呆の症状が出始め
将来への暗雲が広がりつつある。
二十数年間音信不通であった父親との関係性も、
日々の多忙な業務を言い訳にし、先延ばしにした経緯。
そうしたわだかまりが、
『斯波』が触媒となり一気に爆発、
場所を変えて二人が向き合う最後のシークエンスは一種の「告解」。
『大友』が映る多くのシーンでの鏡像の多用は二面性の表現。
加えて、『斯波』の科白回しや外見の造り込みは
全てこの場面に集約する目的だったのだなと感嘆する。