封切り三日目。
席数112の【SCREEN8】は
一席おきの案内なので実質56席。
その八割ほどが埋まる客の入り。
聖職者が必ずしも聖人でないことは、
彼等による、特に性的虐待を描いた映画が
多く作られていることからも判るところ。
その闇は深いのだが、本作の主人公『御堂(ムロツヨシ)』も
日頃信者に対してしている説教とは
まるっきり真逆の行為に走ってしまう。
もっともそれは、自分の娘(正確には、
血が繋がっていないので、全くの他人)を救うためのもので、
先に挙げた人々が自身の欲望のままに起こした不埒な行為とは雲泥の差があるのだが。
白血病に罹った娘が化学療法で一度は寛解したものの再発、
次の治療は抗癌剤の投与と放射線の照射の後の骨髄移植しか選択肢が無くなった過程で
血の繋がりが無いことが判明する。
たとえ神父であっても、元々は一個の人間、
その懊悩はいかほどのものか。
ましてや、妻は八年も前に他界しており、
愛情が通っていたと信じていたのに、
その思いさえも打ち砕かれる強い絶望。
しかし、血の濃さよりも、一緒に過ごし愛情を注いだ時間の記憶が勝り
『御堂』は奮起、
実際の父親を捜し、ドナーとなって貰うために動き出す。
ここから先はある意味べたな、有りがちな、お涙頂戴の展開になるものの、
娘役の新人『中田乃愛』と、意外とと言っては失礼だが『ムロツヨシ』の熱演で
不覚にも涙が滲んでしまう。
勿論、場内は号泣の渦で、鼻水をすする音がそこかしこで聞こえ。
キリスト者として、周囲の人達に真摯に向き合って来た
主人公の人当たりの良さを印象付ける幾つかのエピソードも秀逸。
それがあるから、父娘の大事に、助けてあげたいとの気持ちも起きるわけで。
もっとも「TSUTAYA CREATOR'S PROGRAM FILM」の受賞作につきものの
脚本の緩さは本作にも散見。
とりわけ、妊娠期間の計算がイマイチ合わず、これが成立するためには
知り合ってから一ヶ月やそこいらで関係ができちゃわないとムリだよね、
神父のクセになんて手が早いんだ!と思ったりもするのだが。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。
最初はまるっきり関係のなさそうな二筋の挿話が、
あるタイミングで時空が統合され交差する。
この作り込みがかなり巧く、
『テオ・アンゲロプロス』が〔旅芸人の記録〕で見せた、
一つの画面の中に二つ以上の時間軸を存在させる技法をさらっと援用している。
気付いた時には、なるほど!と、手を打つのだが、
こうした仕掛けも見どころの一つかもしれない。