封切り三日目。
席数489の【SCREEN12】は
一席空けての案内なので実質245席。
それが満員の盛況は正直、意外。
なんと言っても上映時間180分の長尺だし。
「カンヌ」で脚本賞を獲ったとの事前の煽りが効いているのか。
或いは「ハルキスト」は
映像にも触手を伸ばすのか。
もっとも映像化された作品で
激賞できるものは未だ無く、
既見のものも以下の三作くらいなのだが。
〔ノルウェイの森(2010年)〕
〔ハナレイ・ベイ (2018年)〕
〔パン屋再襲撃 (2010年)〕
〔ドライビングMissデイジー(1990年)〕しかり、
〔グリーンブック(2019年)〕しかりで、
運転手とその雇い主が心を通わすストーリーは
ハートウォーミングな終幕と相場が決まっている。
勿論、本作も例外ではないのだが、しかし
先の二作が人種やクラスの分断との越え難い差を埋めた帰結なのに対し、
ここでは取り返し難い過去の後悔を互いに披歴し合った、
一種の傷の舐め合い結果の寛解で、
ややの物足りなさを感じる。
元々の『村上春樹』の原作は短編と聞いている。
それをこれだけの尺に引き延ばしたのは、
{ロードムービー}的要素と劇中劇を取り入れたため。
小説の核心だけは生かしながら、
もはや監督/脚本である『濱口竜介』のオハナシに昇華させたと
考えた方が良いのではないか。
その最たるものが、延々と繰り返される
劇の脚本の読み合わせの場面。
ここでは、極力感情を抑え棒読みにより近い発声が良しとされるが、
これは{濱口メソッド}とも言うべき、
監督が実際に映画撮影の際に用いる手法。
それを臆面も無くスクリーンの上に取り込んでいる。
しかしこうした入れ子構造は随所に見られる。
一例として、劇中の科白と実際の行為が混交する幾つかの場面。
『チェーホフ』の〔ワーニャ伯父さん〕を読み上げる
カセットテープからの音声と、
それを聞きながらの車中の会話や実際の行動がシンクロし
次第に不思議な感覚にとらわれる。
戯曲が事件を起こしているのか、それとも
現実がなぞってしまうのか。
或いは、亡き妻が脚本用に語ったとされる不思議な物語についても同様。
奇妙なことに現実を微妙にトレースしている。
もっともこちらは、その創作の過程すら、
夫に見せていたルーチンが真実であったかすら、
既にして怪しいのだが。
妻の不貞を覗き見てしまった時の夫の態度は
何とも複雑。
そしらぬフリをし、さも何事もなかったかのように振る舞う。
ああ、この人は愛情よりも
創作のパートナーとして感情を抑えているのだな、と
口では「愛している」とは言うものの、
果たして本心なのか、観る側は疑念を持つ。
それが氷解するシーンはちゃんと用意されるも、
エピソード過多の科白の渦に巻き込まれてしまい、
ややの白々しさも覚えてしまうのだが。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
とは言え、映像を繋いで語らせる
所謂、映画的な魅せ方には長けている。
幼い娘を亡くしてしまった過去を
さらっと分からせる場面にそれは象徴的。
緩の部分と急の部分と破の部分を当意即妙に組み合わせる
編集の技術にも唸らされ
三時間の長尺をさほど苦に感じなかった要因はここにあるのだなと納得する。