封切り二日目。
席数158の【SCREEN3】の入りは七割ほど。
もう何年か前に、VRを使って
統合失調症の幻覚を疑似体験したことがある。
電車からホームへの段差は、
普通なら何のことはないのに
崖っぷちに立っているように見えたり、
部屋の隅に見知らぬ人間が突然に立っていたりと、
ホンマかいな?と思いつつ、
実際にこう見えていれば、そりゃ~戸惑いもするだろうと思ったのも事実。
そして本作。
認知症の兆候が見られようになった『アンソニー(アンソニー・ホプキンス)』が経験する
混乱に満ちた世界を、観客の我々も共有する。
娘と思った者が赤の他人であったり、
新しい家政婦として紹介されたのに次の日には見知らぬ女性が来たり。
娘の話はくるくると変わり、あまつさえ
その夫の話であれば猶更のこと。
大事にしていた時計は、何時盗まれたやら見当たらず、
自身が所有する居心地の良いフラットなのに、
なぜかしら娘の夫が我が物顔で居座る始末。
一体、何が本当で、何がそうでないのか
起きていることすら時に把握できず、
ひたすら困惑する『アンソニー』。
ただそれは鑑賞者の側も同様。
ほとんどが主人公の疑似主観で語られているため、
目まぐるしく変わる状況に
最初の内は全く着いて行けず
脳内は著しく混乱する。
まるっきりミステリーの世界。
が、それこそがたぶん
製作者サイドの目指した方向性。
認知症の混迷する世界をたっぷりと味あわせることが。
一方で、歳をとると我慢がきかなくなったり
偏屈になったりするとは、よく言われることで
ある意味、幼児返りに近い状況かもしれず。
しかしここでの主人公の言動は
度を越しているとも言えなくはなく
憐憫の情さえ持たせぬもの。
しかし次第に、これこそが事実と思われるシチュエーションが
見えて来る。
忘れたい過去もそうだし
フラッシュバックのように、或いはナイトメアのように
彼が見ている情景の裏側にあるものが。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。
麒麟も老いては駑馬に劣る、とも言うけれど、
『ハンニバル・レクター』であったとしても
同じような道を歩む可能性は否定もできず。
忍び寄る老いの恐ろしさに慄く一方で、
悲しい記憶も忘れ去ってしまう、
死への束の間の福音の時間とも取れなくはない。