封切り三日目。
席数335の【SCREEN6】だが一席を空けての販売なので、
現状の席数は167程度で
その八割は埋まっている印象。
〔若草物語(1868)〕は
〔赤毛のアン(1908)〕〔子鹿物語(1938)〕〔シートン動物記(1898)〕などと並び
自分達の世代には一種の通過儀礼の必読書。
直近だとそれに〔大草原の小さな家(1932)〕が加わるか。
それにしても、何れの小説も
繰り返し映像化されるのは何故だろう?
同じ「南北戦争(1861~65)」の頃を扱っていても
直近で公開された〔ハリエット〕と比べ
随分と異なる印象が残る。
とても同時代とは思えないほど。
四姉妹が自家の貧乏を嘆くシーンにそれは顕著。
あれだけ幾部屋もある屋敷に住み、調度品もそこそこ、
女中を雇う余裕も。
要は中流よりも上位の家庭であり、更に上流に憧れればキリはないとのこと。
もっとも本作の舞台は北軍側に与している北の方の街。
実際の戦場とは離れていることも背景にはあるよう。
が、話中でいみじくも語られる
「多かれ少なかれ奴隷制の恩恵は受けている」ことは間違いのないところ。
ちょっと古いしあまり綺麗な表現ではないけど、
女三人寄ればかしましいとされている。
ましてや四人姉妹ともなれば
どれほどのものか。
加えて思春期で比較的歳の近い者同士、
全ての空間が言葉で埋め尽くされているだろう。
日々のよしなしごとや恋のさや当て、ちょっとした嫉妬が
ある時はあけすけに、時として胸の内で四人四様に。
演劇好きな長女の『ベス』、
文書を書くことが得意な次女の『ジョー』、
ピアノを良く弾く三女の『ベス』、
美術の才がある四女の『エイミー』、
才能だけでなく外見も性格もまちまちな彼女等のキャラが立ちまくる。
主人公はあくまで『ジョー』も、他の三人も随時狂言廻しとなり、
楽しみに満ち、(時として)悲しみもある
ある種波乱万丈な日々の生活が
瑞々しい視点で描かれる。
評価は、☆五点満点で☆☆☆☆。
差別や不寛容、断絶が蔓延するこの時代に
本作が幾度目かの映画化をされた理由を考える。
それらとは真逆で、且つ
リベラルで互助の精神に満ちた家族の美しさを
観終わってあらためて思う。