RollingStoneGathersNoMoss文化部

好奇心の向くままどたばたと東奔西走するおぢさんの日記、文化部の活動報告。飲食活動履歴の「健啖部」にも是非お立ち寄り下さい

楽園@109シネマズ川崎 2019年10月19日(土)

封切り二日目。

席数172の【シアター4】の入りは八割ほど。

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どうして自分はこの種の物語に魅かれ共感するのかと
改めて考える。

やはり育った環境が近似だったから、との
結論に至ってしまう。


周囲は知った人ばかりの閉塞した土地。

ちょっとした出来事も一瀉千里、
瞬く間に多くの人の耳目に上る。


一見、仲間同士に見えて実は差別は厳然と存在。

一つは宗教、また一つは居住地、或いは苗字、あとはよそ者。

前三つは昭和期以前から、澱の如くに存在するもの。
大人たちの口から不快な話を何度も聞いた記憶。

そして後者は「あの人は※※から来た人だから」あるいは
「※※に出たけど戻って来た人だから」と判断のタネになる。

村八分の実際は見たことはないけれど、
五人組の風習はまだまだ残っていたからね。

表面的には藹々としていても、思惑は奥底に淀み、
開かれた都会ならば発散する機会ががあろうも、
閉ざされた場所では思うにならず、それが溢れてしまった時、
捌け口が向かう先は常に弱者。


祭りの担い手すら不足し、限界集落も間近とされる山村で
少女が行方不明になる。

杳として消息が知れないなか、類似の事件が起き
村人たちの嫌疑は(なんの証拠も無いのに)異質な者へと向かう。

そうしていれば、自分達が安堵できるからとの直情的な心持で。

地縁の同心円から外れた周辺部に存在する者に対し
幾つかの皺寄せが起き、悲劇が連鎖する。

村そのものが意志を持ち異物を排除するかの様に動く凄まじさ。
胃がきりきりと痛くなるほどの圧の強いエピソードの数々は傷ましいの一言。

が、劇薬にも似て、それらの行為が逆に
村自体に厄災となる副作用をもたらす。


評価は、☆五点満点で☆☆☆☆★。


地域社会が縮小する過程では、大小を問わず
似たような事象は各地で起きるのだろう。

鬱積は常に自分達とは違う者へと集まるのだから。